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JR磐越西線猪苗代駅から車約10分
福島県耶麻郡猪苗代町
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1589年(天正17年)6月、伊達政宗が蘆名義広を破った「摺上原の戦い」の古戦場に建てられた記念碑。摺上原は磐梯山麓の猪苗代湖北岸に広がる平原で、両軍合わせて数万の大軍が激突した。伊達軍は鉄砲を活用した戦術で蘆名軍を圧倒し、蘆名義広は常陸の佐竹氏のもとへ逃亡。この戦いにより蘆名氏は滅亡し、政宗は会津を含む南奥州のほぼ全域を支配下に置いた。しかしわずか2か月後に豊臣秀吉の小田原攻めが始まり、政宗は領土を大幅に削減されることになる。現在、猪苗代湖北岸の摺上川沿いに古戦場記念碑が建てられており、東北戦国史最大の決戦の地を訪れる歴史ファンが多い。周辺の磐梯山・猪苗代湖の大自然と歴史が融合したスポット。
1589年(天正17年)6月、摺上原は伊達政宗と蘆名義広が激突した「摺上原の戦い」の舞台となった。磐梯山麓・猪苗代湖北岸に広がるこの平原で、両軍合わせて数万とも称される大軍が激戦を繰り広げた。伊達軍は鉄砲を効果的に運用した戦術で蘆名軍を圧倒し、蘆名義広は常陸の佐竹氏のもとへ敗走。この戦いをもって戦国大名・蘆名氏は事実上滅亡し、伊達政宗は会津を含む南奥州のほぼ全域を掌握した。しかしその約2か月後、豊臣秀吉による小田原攻めへの参陣遅延を咎められ、政宗は獲得した領土の大部分を没収されることとなった。近代以降、東北戦国史における最大級の決戦地としてその歴史的意義が広く認識されるようになり、摺上川沿いの…
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1589年(天正17年)、陸奥国摺上原(現在の福島県猪苗代町付近)において、伊達政宗率いる伊達軍が蘆名義広率いる蘆名軍を大破した戦い。政宗はこの一戦で会津の名族蘆名氏を滅ぼし、南奥州の大半を一気に支配下に収めた。「奥州の覇者」としての地位を確立した政宗だったが、翌年には豊臣秀吉の小田原征伐への参陣を余儀なくされ、全国統一の波に飲み込まれていった。摺上原の勝利は伊達氏最大の版図拡大をもたらした戦いであり、政宗の「独眼竜」としての名声を不動のものとした合戦として語り継がれている。
摺上原の戦いは政宗の生涯最大の軍事的勝利。この勝利により22歳の政宗は南奥州の覇者となったが、直後の秀吉の天下統一により夢の実現は阻まれた。
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