建仁2年(1202年)、鎌倉時代初期に四日市の地頭・三須氏が信濃国の諏訪大社から建御名方命を勧請したことに始まると伝わる。以来、四日市の総鎮守として地域信仰の中心に位置してきた。中世には戦乱や火災による社殿の損傷も経たと推測されるが、詳細な記録は伝わっていない。近世に入ると四日市が東海道の宿場町・港湾商業都市として発展するにつれ、歴代の商人や豪商たちの崇敬を集め、社勢を拡大していったとされる。江戸時代には例祭である四日市祭が盛んに行われ、大入道山車をはじめとする豪華な山車行列が定着した。明治以降、近代工業都市として発展した四日市においても市民の氏神・総鎮守としての地位は揺るがず、山車や祭礼の伝…