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JR掛川駅から車で約25分
静岡県掛川市上土方嶺向・下土方
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掛川市南部に位置する国の史跡で、「高天神を制する者は遠州を制す」と称された難攻不落の山城。
武田信玄が攻略を断念し、勝頼がようやく落とした東海の要衝。
天正9年(1581年)、家康が周囲に5つの砦を築いて包囲し奪還に成功。
勝頼が家臣を救援できなかったことで武田家の威信が決定的に失墜した。
急峻な山上に本曲輪・二の曲輪が残り、当時の堅牢さを体感できる。
搦手門跡からの眺望は遠州灘を一望する絶景。
登山道は西峰と東峰の2ルートあり、約30分で本曲輪に到達。
春は桜、秋は紅葉が山城を彩る。
武田・徳川の攻防を物語る遠州最大の山城跡。
長篠の戦い後の武田家滅亡の過程を理解する上で欠かせない史跡。
築城は南北朝時代とされ、今川氏の支城として機能した。
永禄12年(1569年)、武田信玄が攻略を試みたが断念。
天正2年(1574年)、武田勝頼が大軍で攻め落とし、東海地方進出の拠点とした。
天正9年(1581年)、家康は横須賀城など5つの砦を周囲に築き、兵糧攻めで奪還。
城将・岡部元信は救援を求めたが勝頼は動けず、飢えた城兵は討って出て壮絶な最期を遂げた。
この時、自軍の家臣を救えなかった勝頼は武田家中の信頼を決定的に失った。
この高天神城の失陥が武田家滅亡の直接的引き金となったとされる。
江戸時代には廃城となり、山林に埋もれた。
昭和50年代から発掘調査が進み、国の史跡に指定された。
現在…
家康は高天神城の周囲に横須賀城をはじめ5つの砦を築き、約1年にわたる兵糧攻めで奪還に成功。この時、救援できなかった勝頼の威信が失墜し、武田家臣の離反を招く結果となった。家康の忍耐強い包囲戦略の勝利。
1574年に大軍で攻め落としたが、1581年の家康の包囲戦では救援軍を送れず、飢えた城兵を見殺しにした。この失態が武田家臣団の離反を招き、翌年の武田滅亡の直接的原因となった。
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