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竹田城跡
竹田城跡
兵庫県
創建
1441
種別
アクセス
JR竹田駅から徒歩約40分
兵庫県朝来市和田山町竹田
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基本情報
創建 1441
585年目
概要
嘉吉元年(1441年)に但馬守護・山名宗全が築いたとされる山城で、標高353メートルの竹田山頂に整然とした石垣だけが残る。天正5年(1577年)に羽柴秀吉の但馬攻めで落城した後、秀吉家臣の桑山重晴や赤松広英が城主を務めた。秋から冬にかけての早朝、雲海に浮かぶ幻想的な石垣の姿は「天空の城」「日本のマチュピチュ」と称され絶景写真の撮影スポットとして全国的に有名。国の史跡に指定されており、但馬地方を代表する観光名所として多くの旅人が訪れる。
由緒
嘉吉元年(1441年)、但馬守護・山名宗全によって築かれたと伝わる山城で、竹田山(標高353メートル)の山頂に位置する。山名氏の支配下において但馬支配の要衝として機能したとされる。天正5年(1577年)、羽柴秀吉による但馬攻めにより落城し、山名氏による支配は終焉を迎えた。その後、秀吉の家臣である桑山重晴が城主となり、石垣の整備・拡充が進められたとされる。さらに赤松広英が城主を継いだが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて赤松氏が西軍に与したため、戦後に廃城となった。江戸時代以降は廃墟となり、石垣のみが山頂に残された。明治時代以降、近代的な調査・整備が進み、昭和初期には国の史跡に指定され…
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豊臣秀吉とのつながり
天正5年(1577年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉は但馬攻めを断行し、竹田城を攻略した。以後この地は秀吉の直轄支配下に置かれ、家臣の桑山重晴が城主として但馬経営を担った。秀吉の中国・山陰方面攻略における重要な足がかりとなった城である。

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