社記によれば宇多天皇の寛平年間(889〜898年)、豊前国企救郡柳ヶ浦(現・門司区大里付近)の漁師の網に光り輝く霊石がかかり、これを神の依代と信じた馬寄村の伊古野大学が邸内に祀ったのが創始と伝わる。のちに「我を鶏の声の届かぬ高き所に祀れ」との神託があり、峰刑部を祭主として戸上山(海抜521m)の頂上に天御中主神・伊邪那岐神・伊邪那美神の三柱を奉祀した。これにより山を「戸上山」、社を「戸上神社」と称するようになったとされる。中世には大友氏の兵火により堂宇が焼失したが慶長年間(1596〜1615年)に再建された。江戸時代には小倉藩主・細川忠利が元和3年(1617年)に山頂の上宮を再建し、次いで小笠…