JR紀伊田辺駅から徒歩5分
和歌山県田辺市東陽1-1
Google Map で開く ↗
穢れ祓い・心身の浄化・邪気払い。禊(みそぎ)や護摩の伝統に連なる。
御祭神「熊野権現」のご神徳に由来
允恭天皇8年(419年)創建と伝わる田辺の総鎮守。壇ノ浦合戦の際、熊野別当・湛増(たんぞう、弁慶の父とも伝わる)がこの神社の前で源氏と平家のどちらに味方すべきかを白と赤の鶏を戦わせて占い、白鶏(源氏側)が勝ったため源氏方に味方することを決めた故事から「闘鶏神社」の名が付いた。熊野水軍を率いた湛増の決断は源氏勝利の大きな要因となり、日本史を動かした神社として知られる。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産で、本殿・拝殿などが国の重要文化財。
允恭天皇8年(419年)に創建されたと伝わる田辺の総鎮守。古くは「闘鶏権現」とも呼ばれ、熊野三山信仰と深く結びついた社として崇敬を集めた。平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけて、熊野別当・湛増(弁慶の父とも伝わる)がこの地に拠点を置いた。1185年(文治元年)の壇ノ浦合戦に際し、湛増は源氏と平家いずれに与するかを決するため、当社の社前で白と赤の鶏を戦わせて神意を占ったとされる。白鶏(源氏方)が勝利したことから源氏への加担を決断し、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ向かったと伝わる。この決断は源氏勝利の一因となったとされ、「闘鶏神社」の名の由来となった。近世には紀州藩の庇護のもと社勢を維持し、社殿の整備が進…
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能