允恭天皇8年(419年)に創建されたと伝わる田辺の総鎮守。古くは「闘鶏権現」とも呼ばれ、熊野三山信仰と深く結びついた社として崇敬を集めた。平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけて、熊野別当・湛増(弁慶の父とも伝わる)がこの地に拠点を置いた。1185年(文治元年)の壇ノ浦合戦に際し、湛増は源氏と平家いずれに与するかを決するため、当社の社前で白と赤の鶏を戦わせて神意を占ったとされる。白鶏(源氏方)が勝利したことから源氏への加担を決断し、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ向かったと伝わる。この決断は源氏勝利の一因となったとされ、「闘鶏神社」の名の由来となった。近世には紀州藩の庇護のもと社勢を維持し、社殿の整備が進…