「東行」は高杉晋作の号。慶応3年(1867年)4月、肺結核により27歳で病没した晋作は、奇兵隊挙兵の地に近い吉田・清水山に葬るよう遺言し、この地に埋葬された。晋作に仕えた愛人おうのは出家して谷梅処と称し、明治14年(1881年)に曹洞宗永平寺貫主より得度を受けて「梅処尼」と名乗り、晋作の菩提を弔って余生を送った。明治17年(1884年)、旧藩主毛利元昭・伊藤博文・山県有朋・井上馨ら143名の寄付により、清水山東行庵として現在の庵が建立された。境内の東行記念館には晋作ゆかりの資料が収蔵され、下関を代表する幕末史跡となっている。