宇土城は、文禄5年(1596年)頃、豊臣秀吉の命を受けた家臣・小西行長によって築かれた平山城である。行長は朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で功績を立て、肥後南半国を与えられ、加藤清正と共に肥後を二分して統治した。宇土城はその本拠地として整備され、堅固な石垣と空堀を備えた近世城郭の体裁を整えていたとされる。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦において、行長は石田三成ら西軍に与したが、東軍・徳川家康の勝利により西軍は敗北。行長は捕縛され、同年京都にて処刑された。これに伴い宇土城は廃城となり、以後は再建されることなく歴史の舞台から退いた。廃城後も石垣や空堀などの遺構は良好な状態で保存され、豊臣政権期における…