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近鉄奈良駅からバス約50分
奈良県奈良市柳生町
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柳生藩1万2500石の陣屋跡。柳生十兵衛の父・宗矩が築いた柳生藩の政庁。柳生一族の剣術の里として知られ、周辺には柳生の里の歴史的景観が広がる。
柳生陣屋は、寛永13年(1636年)に柳生宗矩によって築かれた。宗矩は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた剣客であり、将軍家指南役として江戸柳生を率いた人物である。大和国添上郡柳生荘を拠点とした柳生氏は、室町時代以前より同地を治めていたとされ、宗矩が幕府から1万2500石を与えられたことで正式に柳生藩が立藩、陣屋が藩政の中枢となった。宗矩の子・柳生十兵衛三厳はこの地で剣の修行を積んだと伝わる。その後、柳生藩は江戸時代を通じて小藩として存続したが、藩主家は剣術の家名を維持し続けた。明治4年(1871年)の廃藩置県によって藩は廃止され、陣屋も機能を失った。現在は陣屋跡として石垣や土塁の一部が残り、柳…
柳生宗厳(石舟斎)は柳生新陰流の祖であり、この柳生の里で生まれ育った。永禄6年(1563年)に上泉信綱から新陰流の印可を受け、柳生新陰流を創始した。晩年は柳生の里に隠棲し、孫の十兵衛や門弟の指導に当たった。宗矩が築いた陣屋は石舟斎が守り育てた柳生の地にあり、柳生一族の剣術の伝統はこの里から全国に広まった。
柳生十兵衛三厳は柳生宗矩の嫡男として生まれ、この陣屋で育った。将軍家光に仕えたが、寛永3年(1626年)に突如小姓を免ぜられ、以降12年間の浪人生活を送った。その間諸国を廻り剣術修行に明け暮れたとされ、復帰後は柳生藩の藩政にも携わった。
柳生宗矩は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた剣術指南役で、寛永13年(1636年)にこの陣屋を築き柳生藩を立藩した。「活人剣」の思想を体系化した兵法書『兵法家伝書』を著し、剣術を政治哲学にまで昇華させた人物。
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