与論島は琉球列島の北端近くに位置し、先史時代から人が居住したとされる。島名の由来は諸説あり、琉球語に由来するとも伝わる。12〜13世紀頃には琉球文化圏の影響下に入ったとみられ、島内に残るトゥバラーマ(琉球式墓制)や拝所(うがん)はその文化的繋がりを今に伝える。近世には薩摩藩の支配下に置かれ、1609年の島津氏による琉球侵攻以降、与論島は薩摩と琉球の境界域として複雑な歴史を歩んだ。明治12年(1879年)の琉球処分により沖縄県が設置された際、与論島は鹿児島県に編入され、現在も沖縄本島まで約23kmの近距離にありながら行政上は鹿児島県に属する。百合ヶ浜は干潮時にのみ海上に現れる白砂の州であり、特定…