永正2年(1505年)、牧野古白が豊川の河岸に「今橋城」を築いたことに始まる。牧野氏は三河支配の拠点としたが、後に今川氏の勢力下に入り、今川義元の時代には東海道の要衝として機能した。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い後、三河は織田信長・徳川家康の影響下に置かれ、天正18年(1590年)頃には家康の重臣・池田輝政が城主となり大規模な整備を行ったとされる。この頃から城名が「吉田城」と定着した。江戸時代には吉田藩の藩庁が置かれ、東海道吉田宿の中心として城下町が発展した。明治維新後、廃藩置県にともない城郭建築の多くは解体・撤去された。現在残る鉄櫓(三層三階)は昭和29年(1954年)に再建されたもの…