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吉田城跡
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吉田城跡
愛知県
創建
1505
種別
アクセス
JR・名鉄豊橋駅徒歩20分
愛知県豊橋市今橋町3
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基本情報
創建 1505
521年目
概要
豊橋市今橋町に位置する豊橋公園内の城跡。永正2年(1505年)に牧野古白が豊川沿いに築いた「今橋城」が起源で、後に「吉田城」と改称された。今川義元・信長・家康・池田輝政など多くの武将がこの地を支配し、東海道の要衝として重要な役割を果たした。現在の鉄櫓(三層三階)は昭和29年に再建されたもの。豊橋市の歴史と文化の中心地として整備され、近隣には豊橋市美術博物館も立地し、三河地方の歴史を学べる観光スポットとなっている。
由緒
永正2年(1505年)、牧野古白が豊川の河岸に「今橋城」を築いたことに始まる。牧野氏は三河支配の拠点としたが、後に今川氏の勢力下に入り、今川義元の時代には東海道の要衝として機能した。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い後、三河は織田信長・徳川家康の影響下に置かれ、天正18年(1590年)頃には家康の重臣・池田輝政が城主となり大規模な整備を行ったとされる。この頃から城名が「吉田城」と定着した。江戸時代には吉田藩の藩庁が置かれ、東海道吉田宿の中心として城下町が発展した。明治維新後、廃藩置県にともない城郭建築の多くは解体・撤去された。現在残る鉄櫓(三層三階)は昭和29年(1954年)に再建されたもの…
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織田信長とのつながり
吉田城は信長の三河攻略において重要な拠点であった。天正3年(1575年)の長篠の戦い後、三河から遠江にかけての東海道の要衝として信長・家康の連合支配圏に組み込まれた。信長は家康に三河・遠江の経営を委ねつつも、吉田城の戦略的価値を重視した。
徳川家康とのつながり
家康は三河統一後、吉田城を東海道の要衝として重視し、信頼する家臣・酒井忠次を城主に据えた。酒井は三河における家康の東部防衛ラインを担い、長篠の戦いの際に重要な別働作戦を指揮した武将でもある。

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