大蔵町は旧武蔵国と相模国の境界に近い農村地帯で、江戸時代には農業と養蚕を生業とする小集落が点在し、絹の道の物資が行き交う地域でもあった。慶性寺は「慶びある性質(本来の清浄な心)に帰る」という意を寺号に持つと解され、農民の日常信仰の場として開かれたとみられる。宗派の詳細は明確でないが、多摩・相模丘陵に広くみられる農村寺院の系譜に連なると考えられ、境内の古石塔がその歴史の厚みを示している。現在は大蔵町の住民にとって身近な先祖供養の場として機能し、年忌・彼岸・盆の法要が地域の人々の絆を結び続けている。