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えちぜん鉄道金津駅からバスで約15分
福井県あわら市吉崎1-407
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あわら市に位置し、浄土真宗中興の祖・蓮如上人が北陸布教の拠点とした吉崎御坊の跡地。1471年(文明3年)、蓮如上人はここに吉崎御坊を建立し、精力的な布教活動を展開した。その結果、北陸地方に浄土真宗が急速に広まり、一向一揆の温床にもなった。現在の跡地には蓮如上人の御廟所が設けられており、参拝者が絶えない。「吉崎御坊蓮如上人記念館」も隣接し、蓮如の生涯と北陸布教の歴史を学ぶことができる。
1471年(文明3年)、蓮如上人が吉崎に坊舎を建立。4年間で約10万人もの門徒を獲得し、北陸の宗教地図を塗り替えた。1475年に自ら火を放ち退去したが、その後も信者の聖地として崇敬され続けた。現在は史跡として整備され、蓮如忌には多くの参拝者が訪れる。
文明3年(1471年)、比叡山延暦寺の衆徒による京都大谷本願寺の破却(寛正の法難)で苦境に立たされた本願寺8世・蓮如は、57歳にして北陸の吉崎の地に新たな拠点を築いた。「御文(おふみ)」と呼ばれる平易な仮名書きの法語を大量に書き送って布教する独創的な手法が爆発的な効果を発揮し、わずか4年間で北陸・東海に約10万人もの門徒を獲得。一向宗が戦国最強の宗教勢力へと成長する基盤はここ吉崎で築かれた。しかし門徒勢力の急拡大は守護大名・加賀富樫氏との衝突を招き、一向一揆の温床ともなった。文明7年(1475年)、蓮如は自ら坊舎に火を放って吉崎を退去し、その後は山科本願寺再興へと向かう。吉崎はわずか4年の布教拠点だったが、浄土真宗中興の決定的な舞台となった。
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