曹洞宗に属し、山号を岩松山と号する。室町時代に喜州善欣によって開山されたと伝わる。慶応4年(1868年)5月23日、戊辰戦争の飯能戦争に敗れた旧幕府軍振武軍の参謀・渋沢平九郎(22歳)は、黒山の地で新政府軍の斥候隊と遭遇し奮戦ののち自刃した。身元不明のまま村人が遺骸を当寺に葬り、「ダッソ様(脱走様)」と呼んで首より上の病に効く神として祀った。後年、兄の尾高惇忠がこれを平九郎と確認し、渋沢栄一の手によって谷中霊園に改葬された。境内には現在も「澁澤平九郎之墓」の墓石が残り、栄一自身が明治45年(1912年)に墓参したことが記録されている。越生町の指定文化財にも関連する史跡として知られる。