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PERSON
浅井長政
浅井長政
義を貫いた北近江の将
1545-1573 · 享年 28歳
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生涯
1545年、近江の戦国大名・浅井久政の嫡男として生まれた。1560年頃に家督を継ぎ、北近江を支配する浅井氏の当主となった。織田信長と同盟を結び、1567年に信長の妹・お市の方を正室に迎えた。この婚姻同盟により浅井・織田の関係は一時盤石となった。しかし1570年、信長が越前朝倉氏を攻撃すると、長政は朝倉氏との旧来の盟約を優先し、信長への背反を決意した。この決断により信長の朝倉攻めは頓挫し、信長は辛くも京へ撤退した。同年の姉川の戦いでは織田・徳川連合軍と激突したが敗北。その後も包囲が狭まる中、1573年の小谷城落城の際に自刃して果てた。享年29歳。正室・お市の方と三人の娘(茶々・初・江)は城を脱出し、娘たちは後に豊臣・徳川家に深く関わることになる。義理を重んじ、強大な織田信長と戦い続けた姿は後世に義将として語り継がれた。
人物像
義理堅く誠実な性格。同盟の義理を重んじ、強大な信長に対しても自らの信念を曲げなかった。若くして当主となり、家中をまとめる指導力も備えていた。
歴史的意義
浅井三姉妹(茶々・初・江)の父として知られ、その血脈は豊臣秀吉の側室・淀殿、京極高次の妻、徳川秀忠の正室へと受け継がれた。義を貫いた武将として江戸時代以降も広く称えられた。小谷城跡は滋賀県長浜市に残る。
逸話・エピソード
朝倉義理を守り信長に背いた「義の武将」
1570年、織田信長が同盟を破って越前の朝倉氏を攻撃した際、長政は旧来の朝倉氏との盟約を優先して信長の背後を突いた。この決断は大きな危険を伴うものだったが、長政は「義を捨てては武将の名折れ」と語ったとされ、後世に義の武将として讃えられた。信長はこの裏切りで金ヶ崎から辛くも撤退したが、その後長政に容赦なく攻勢をかけ、3年後には小谷城を落城させた。
小谷城落城——お市と三姉妹の別れ
1573年8月、信長軍の猛攻により小谷城は陥落の危機に瀕した。長政は最後まで抵抗を続けたが、内部からの裏切りもあり孤立無援となった。落城直前、長政はお市の方と三人の娘(茶々・初・江)を城外へ脱出させ、自らは腹を切って果てた。享年29歳。三姉妹はその後、豊臣・徳川の時代に深く関わることとなり、長政の血脈は日本史の大きな流れに受け継がれた。
ゆかりの地 — 1
小谷城
浅井長政は先祖が築いた小谷城を居城とし、北近江の支配を確立した。永禄10年(1567年)に織田信長の妹・お市の方と婚姻し同盟を結んだが、元亀元年(1570年)に信長と決裂。以来3年にわたり朝倉氏と共に信長に対抗し続けたが、天正元年(1573年)9月に城内で自害した。享年28。「義を重んじた悲劇の武将」として今も多くの人に慕われる。
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