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PERSON
近松門左衛門
近松門左衛門
浄瑠璃・歌舞伎の大作家
1653-1725 · 享年 72歳
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生涯
江戸時代前期の劇作家。越前(現・福井県)に生まれ、若くして京都に出て公家や武家に仕えた後、劇作家の道へ進んだ。人形浄瑠璃と歌舞伎の両方で作品を書き、竹本義太夫とのコンビで数々の傑作を生み出した。1703年の「曽根崎心中」は実際の心中事件を題材にした世話物で大ヒットし、「道行」と呼ばれる心中への旅路の場面は日本の文学・演劇の頂点の一つとされる。「国性爺合戦」(1715年)は時代物の傑作で、17ヶ月のロングランを記録した。晩年は大坂・道頓堀で活躍し、「東の芭蕉、西の近松」とも称された。「虚実皮膜の論」(芸術は虚と実の境界にある)という芸術論は現代でも演劇論の古典とされる。72歳で没。
人物像
人間の情念と社会的義理の葛藤を鋭く洞察した作家。庶民の喜怒哀楽に深く共感し、「心中物」を通じて生と死・愛と義理の普遍的テーマを描いた。理論的な芸術観を持ちながら、観客の感情を揺さぶる技術にも長けていた。
歴史的意義
「日本のシェイクスピア」と称され、浄瑠璃・歌舞伎の文学的地位を確立した。「曽根崎心中」「冥途の飛脚」などの作品は現代でも上演され続け、ユネスコ無形文化遺産である人形浄瑠璃文楽の礎を作った。
逸話・エピソード
曽根崎心中——実際の心中事件を翌月に上演した衝撃作
1703年5月、大坂・曽根崎天神の森で醤油屋手代・徳兵衛と遊女・お初の心中事件が起きた。近松門左衛門は翌月6月にこれを題材とした浄瑠璃「曽根崎心中」を竹本義太夫のために書き上げ、竹本座で初演した。現実の悲劇をほぼ実名で舞台化するという衝撃的な手法と、男女の愛と義理の葛藤を描いた「道行」の場面が観客の感情を揺さぶり、空前の大ヒットとなった。以後「心中物」という新ジャンルが確立された。
ゆかりの地 — 2
銀山寺
大阪府
享保7年(1722年)4月6日の宵庚申の夜、大坂油掛町の八百屋の養子・半兵衛と妻お千代が舅姑との不和から生國魂神社の大仏勧進所で心中した。この事件の衝撃は大きく、近松門左衛門は同年4月のうちに世話浄瑠璃「心中宵庚申」を書き上げ、道頓堀の竹本座で初演。姑の嫁いびりと武家の義理に板挟みとなった半兵衛の苦悩、身ごもったお千代の覚悟を描いたこの作品は近松晩年の世話物の傑作となり大坂中を熱狂させた。二人の比翼塚は銀山寺境内に残り、今も近松ファンや文楽愛好家が参拝に訪れる。
法界寺
大阪府
元禄16年(1703年)、近松門左衛門が発表した世話浄瑠璃『曽根崎心中』は、同年4月に曽根崎天神の森で起きた醤油商の手代・徳兵衛と遊女お初の心中事件を取材した名作。劇中「観音廻り」の一節に「あだのりんきや法界寺」と詠まれたことから、当寺は近松作品ゆかりの寺として文学史に名を残した。「法界りんき」は「根も葉もない嫉妬」の意の慣用句として江戸語に定着し、今日の日本語にも残る。近松門左衛門は江戸前期を代表する浄瑠璃・歌舞伎作家で、世話物の創始者として「東洋のシェイクスピア」とも称される人物。梅田・曽根崎の露天神社(お初天神)と法界寺は、いずれも近松の世界を伝える重要な文学地点である。
─ 完 ─
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