生年は不詳。読谷山按司一族の出で、山田グスク(現・恩納村)で生まれ育ったと伝わる。応永23年(1416年)、中山王・尚巴志による北山討伐軍に参陣して功を挙げ、北山滅亡後は今帰仁グスクの北山監守として北部の安定統治を担った。その後、読谷山の高台に座喜味城を新築して移り、琉球屈指の優美なアーチ門を備えた名城を築き上げた。永享12年(1440年)頃には尚巴志の命により中城へ移り、一の郭・二の郭・三の郭・北の郭を大規模に拡張し、当時琉球最強とも評される中城城を完成させた。しかし正統23年(1458年)、勝連按司・阿麻和利の讒言により謀反の疑いをかけられ、王府軍が中城城に迫ると、護佐丸は王命に逆らわず抵抗を放棄し、妻子とともに自刃して果てた(護佐丸・阿麻和利の乱)。