護佐丸(護佐丸盛春)
護佐丸(護佐丸盛春)
琉球屈指の築城の名手・忠義の武将
?-1458 · 享年 68歳
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中城城跡を訪れると出会えます
ゆかりの地 3か所
護佐丸(護佐丸盛春)を訪ねる
3 ヶ所
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生涯
生年は不詳。読谷山按司一族の出で、山田グスク(現・恩納村)で生まれ育ったと伝わる。応永23年(1416年)、中山王・尚巴志による北山討伐軍に参陣して功を挙げ、北山滅亡後は今帰仁グスクの北山監守として北部の安定統治を担った。その後、読谷山の高台に座喜味城を新築して移り、琉球屈指の優美なアーチ門を備えた名城を築き上げた。永享12年(1440年)頃には尚巴志の命により中城へ移り、一の郭・二の郭・三の郭・北の郭を大規模に拡張し、当時琉球最強とも評される中城城を完成させた。しかし正統23年(1458年)、勝連按司・阿麻和利の讒言により謀反の疑いをかけられ、王府軍が中城城に迫ると、護佐丸は王命に逆らわず抵抗を放棄し、妻子とともに自刃して果てた(護佐丸・阿麻和利の乱)。
人物像
琉球随一と評される築城技術を持ち、複数の名城を築き上げた稀代の技術者。王命には最後まで逆らわず、抵抗せずに自刃を選んだその姿勢は、忠義の武将として後世に語り継がれている。
歴史的意義
護佐丸が築いた座喜味城・中城城はともに世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産に登録され、特に中城城は琉球グスクの中でも保存状態が最も良好とされる。忠義の武将として今も沖縄で広く敬愛されている。
─ 完 ─
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