沖縄県国頭郡恩納村字山田に位置する国指定史跡のグスク跡。標高約90メートルの琉球石灰岩台地の尾根先に築かれた平山城で、東西約30m・南北約160mの規模に8つの郭が確認されている。14〜15世紀の琉球三山時代、読谷山(ユンタンザ)按司一族の居城として機能し、後に座喜味グスクを築いた護佐丸(ごさまる)の生誕地として知られる。護佐丸が座喜味グスクへ移った際に山田グスクの石材を人の手渡しで運んだという伝説が今も語り継がれる。野面積みと切石積みの石垣が東西に現存し、大ガジュマルの広場・拝所(香炉)のほか北側崖の護佐丸先祖洞穴墓(1740年建立の墓碑現存)も残る。発掘調査では14〜15世紀初めの中国産陶磁器・古銭・武具・遊具が出土。2008年4月1日、国の史跡に指定(沖縄県内32番目)。
山田グスクを拠点とした読谷山(ユンタンザ)按司一族は、うるま市の伊波グスクを本拠とした伊波按司の系統から分かれたとされる。築城年代は不明だが、発掘調査で出土した14世紀の中国産陶磁器が活用の年代を示す最古の根拠とされる。
当グスクの名を高めたのは、ここで生まれ育ったとされる護佐丸(没1458年)の存在である。山田按司の後継として育った護佐丸は、1416年に中山王・尚巴志が北山の今帰仁グスクを攻略した討伐軍に参陣して功を上げ、北山滅亡後は今帰仁グスクの北山監守として北部安定を担った。
その後、護佐丸は読谷村の高台に座喜味グスク(世界遺産)を新築して移転した。この際、山田グスクの石垣の石を村人が人…