明智光秀の三女として生まれ、細川忠興に嫁いだ。本能寺の変(1582年)で父・光秀が信長を討った後、反逆者の娘として夫から幽閉され数年間の蟄居生活を余儀なくされた。この孤独な時期にキリスト教の教えに触れ、侍女を通じて洗礼を受けてガラシャ(恩寵)の洗礼名を得た。忠興はキリスト教を嫌っていたが、彼女の信仰は揺るぎなかった。1600年の関ヶ原の戦いの前夜、石田三成が徳川方の武将の家族を人質に取ろうとした際、ガラシャは自らの意思で敵方に捕まることを拒否した。キリスト教では自殺が禁じられていたため、家老の小笠原少斎に命じて自分を槍で突かせ、その後屋敷に火を放たせた。享年37歳。その死は当時の西洋のキリスト教徒にも伝えられ、信仰のための殉死として称えられた。