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崇禅寺
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崇禅寺
大阪府
創建
740
種別
寺院
アクセス
阪急京都線・千里線 崇禅寺駅から徒歩5分、JR新大阪駅東口から徒歩10分
大阪府大阪市東淀川区東中島5-27-44
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基本情報
寺院
創建 740
1286年目
御祭神・御本尊
釈迦如来
宗派
曹洞宗
ご利益
厄除け・災難除け
浄化・お祓い
極楽往生
災厄消除・方位除け・疫病退散。不動明王・観音・祇園の神を祀る寺社で特に祈願される。
御祭神「釈迦如来」のご神徳に由来
概要
大阪市東淀川区東中島に所在する曹洞宗の寺院。山号は鳳栖山、本尊は釈迦如来。社伝では天平年間(729-749年)に行基が創建したと伝わり、当初は法相宗であった。嘉吉元年(1441年)の「嘉吉の乱」で播磨守護・赤松満祐に暗殺された室町幕府6代将軍・足利義教の首級がこの地に放置されたことをきっかけに、翌嘉吉2年(1442年)7代将軍・足利義勝の命を受けた細川持賢が義教の菩提寺として大伽藍を整備、曹洞宗に改められた。境内には「足利義教首塚」「細川ガラシャの墓」「遠城兄弟の墓」が並ぶ、全国的にも稀有な将軍・キリシタン女性・仇討ち史跡の三重に折り重なる歴史寺院。細川ガラシャは慶長5年(1600年)関ヶ原直前、石田三成の人質化を拒否して大坂玉造の細川屋敷で自害し、宣教師オルガンチノが遺骨を当寺に納めたとされる。境内は弥生時代の土器・銅鐸が出土した「崇禅寺遺跡」でもあり、古代から近世までの時層が重なる。J…
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由緒
社伝では天平年間(729-749年)に行基が創建したと伝わる。当初は法相宗であった。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱で赤松満祐に暗殺された室町6代将軍・足利義教の首級が当地に放置されたことを機に、嘉吉2年(1442年)細川持賢が将軍義勝の命で大伽藍を再興、曹洞宗に改めた。慶長5年(1600年)関ヶ原直前、細川忠興の正室・ガラシャ(明智玉)が石田三成の人質化を拒否して大坂玉造の細川屋敷で壮絶な最期を遂げ、宣教師オルガンチノが焼け跡から遺骨を探して当寺に納めたと伝わる。正徳5年(1715年)には境内の馬場で遠城兄弟の仇討ちが起こり、その墓も境内に残る。明治期には一時摂津県庁が置かれたこともある。1…
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細川ガラシャとのつながり
慶長5年(1600年)7月、関ヶ原決戦に先立ち石田三成は徳川方諸将の妻子を人質とすべく大坂の細川屋敷に兵を差し向けた。細川忠興の正室・ガラシャ(明智光秀の娘・玉)は夫の留守中に人質となることを拒み、家老・小笠原少斎の介錯を受けて自害、屋敷は火をかけられた。キリシタンであったガラシャは自刃を禁じる教義ゆえ、介錯と引き換えの壮絶な最期であった。事件後、宣教師オルガンチノが焼け跡から遺骨と思われる骨を探し出し、当寺に納めたと伝わる。細川家の菩提寺となった崇禅寺の境内には今もガラシャの墓が残り、日本キリシタン史の聖地の一つとして参拝が絶えない。
足利義教とのつながり
嘉吉元年(1441年)6月24日、室町幕府6代将軍・足利義教は播磨守護・赤松満祐の京都自邸での宴席に招かれた場で暗殺された(嘉吉の乱)。赤松勢は将軍の首を槍先に掲げて本領播磨へ退却する途中、この地に義教の首を放置したと伝わる。恐怖政治を敷いた「万人恐怖」「悪御所」と呼ばれた義教の悲惨な最期を受け、翌年、7代将軍義勝の命で重臣・細川持賢が当寺を菩提寺として整備し大伽藍を再建した。境内の「足利義教首塚」は将軍の首が葬られたと伝わる供養塔で、全国でも珍しい将軍首塚として歴史ファンの巡礼地となっている。

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