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PERSON
豊臣秀吉
豊臣秀吉
太閤・天下人
1537-1598 · 享年 61歳
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生涯
1537年、尾張国中村の下級武士(農民とも)の子として生まれ、幼名を日吉丸と称した。身分の低い出自ながら若くして織田信長に仕え、機転・弁舌・行動力で急速に頭角を現した。墨俣一夜城の築城など伝説的な活躍で取り立てられ、長浜城主にまで出世した。1582年の本能寺の変では中国地方の毛利氏と交渉中だったが、「中国大返し」と呼ばれる驚異的な速度で引き返し、山崎の戦いで明智光秀を破り、清洲会議で信長の後継者としての地位を確立した。柴田勝家・徳川家康など信長旧臣を次々に従え、1585年に関白、1586年に太政大臣となり豊臣姓を賜った。1590年の小田原征伐で北条氏を滅ぼし、奥州仕置をもって全国統一を完成させた。太閤検地・刀狩令により兵農分離を推進し、近世封建社会の基盤を整えた。伏見城・大坂城など壮大な建築を手掛け、桃山文化の隆盛を体現した。晩年には文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に国力の多くを費やし、1598年に伏見城にて62歳で没した。
人物像
底抜けに明るく人を引きつける魅力的な性格で、農民から天下人へという立身出世の象徴となった。機転が利き交渉上手で、敵を武力でなく政治力で懐柔することを好んだ。一方で晩年は権力への執着と猜疑心が強まり、秀次事件など残酷な一面も見せた。
歴史的意義
全国統一を完成させ、近世日本の統治体制の礎を作った。太閤検地は全国の土地・生産高を統一基準で把握し、近代的な土地制度の先駆けとなった。刀狩令は兵農分離を促し、農民の武装解除によって社会秩序を安定させた。醍醐の花見など豪華な文化事業を推進し、安土桃山文化の隆盛を体現した。
辞世の句
辞 世 の 句
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
逸話・エピソード
墨俣一夜城
川の上流で事前に部材を準備し、筏で流して一晩で砦を築いた伝説。この功績が信長の目に留まり出世の糸口となった。
太閤検地と刀狩り
全国統一的な土地測量「太閤検地」と農民から武器を没収する「刀狩り」を実施。兵農分離を確立し、近世日本の社会構造の基盤を築いた。
黄金の茶室
組み立て式の黄金の茶室を作り、天皇に茶を献じた。利休のわび茶とは対極の「豪華絢爛」を好んだ秀吉の美意識を象徴する。
名言
「露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
辞世
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」
豊臣秀吉 年表
1537
豊臣秀吉、尾張中村に生まれる
1558
織田信長に仕える
1573
近江長浜城主となる
1582
本能寺の変。中国大返しで畿内へ。山崎の戦いで光秀を討つ
1583
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破る。大坂城築城開始
1585
関白に就任
1590
小田原征伐。天下統一達成
1592
文禄の役(朝鮮出兵)
1598
伏見城にて死去(63歳)
関連する歴史的事件
1350
倭寇の活動
13-16世紀、朝鮮半島・中国大陸沿岸で活動した海賊・密貿易集団。時期により「前期倭寇」(14世紀中心、対馬・壱岐・松浦の日本人が主体)と「後期倭寇」(16世紀中心、中国人が主体・日本人は少数)に分かれる。前期倭寇は高麗末期から李氏朝鮮建国期に朝鮮沿岸を激しく襲い、高麗滅亡(1392)の一因となった。室町幕府は日明勘合貿易の一環で倭寇鎮圧を約束し、応永の外寇(1419朝鮮による対馬襲撃)などの対応があった。後期倭寇は王直(徽州商人)ら中国人頭目が率い、明の海禁政策下で密貿易と略奪を結合、豊後大友氏・肥前松浦氏など西日本大名も関与した。豊臣秀吉の海賊禁止令(1588)、徳川家康の朱印船貿易で鎮静化。東アジア海域世界の形成における重要な主体。
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ゆかりの地 — 45
北野天満宮
京都府
天正15年(1587年)10月1日、秀吉は「身分を問わず茶を嗜む者はすべて参れ」と天下に触れを出し、北野天満宮の境内で「北野大茶湯」を催した。千利休も参加したこの空前絶後の茶会には約800張の茶席が設けられ、秀吉の天下人としての威勢と茶の湯への情熱を天下に示した。
延暦寺
滋賀県
本能寺の変後、延暦寺を焼き討ちした信長とは対照的に、豊臣秀吉は延暦寺の再建を積極的に支援した。秀吉は天下統一後、延暦寺に対して寺領を寄進し諸堂の復興を援助。信長が破壊した比叡山の権威回復に一役買い、自らの権力の正統性を宗教的に補強した。
西本願寺
京都府
天正14年(1586年)、秀吉が現在地を本願寺に寄進し、壮大な伽藍の造営が始まった。唐門・飛雲閣などは秀吉の命で移築・建立された桃山文化の精華で、秀吉が浄土真宗を保護したことで西本願寺は全国的な教線拡大の拠点となった。
大坂城
大阪府
天正11年(1583年)、秀吉が石山本願寺の跡地に築城を開始した天下の居城。「三国無双」と謳われた壮大な城は豊臣政権の象徴であり、大坂の陣での落城まで豊臣家の本拠として日本の中心に君臨した。
大徳寺
京都府
天正11年(1583年)、秀吉は本能寺の変で横死した織田信長の大規模な葬儀をこの大徳寺で執り行い、信長の後継者としての地位を天下に示した。また境内の塔頭・黄梅院や総見院には信長・秀吉ゆかりの墓所や木像が残る。
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