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豊臣秀吉
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豊臣秀吉
太閤・天下人
1537-1598 · 享年 61歳
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三行で分かる
一
農民同然の身から織田信長に仕え、
二
本能寺の変後の「中国大返し」で天下を掴み、
三
関白・太閤として全国統一を成し遂げた。
驚
へぇ、と思う三話
其 一
墨俣一夜城
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川の上流で事前に部材を準備し、筏で流して一晩で砦を築いた伝説。この功績が信長の目に留まり出世の糸口となった。
其 二
太閤検地と刀狩り
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全国統一的な土地測量「太閤検地」と農民から武器を没収する「刀狩り」を実施。兵農分離を確立し、近世日本の社会構造の基盤を築いた。
其 三
黄金の茶室
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組み立て式の黄金の茶室を作り、天皇に茶を献じた。利休のわび茶とは対極の「豪華絢爛」を好んだ秀吉の美意識を象徴する。
地
豊臣秀吉を訪ねる
82 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
北野天満宮
京都府
延暦寺
滋賀県
西本願寺
京都府
大徳寺
京都府
伏見稲荷大社
京都府
城
大坂城
大阪府
二条城
京都府
姫路城
兵庫県
小田原城
神奈川県
岐阜城
岐阜県
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豊臣秀吉 年表
1537
豊臣秀吉、尾張中村に生まれる
1558
織田信長に仕える
1573
近江長浜城主となる
1582
本能寺の変。中国大返しで畿内へ。山崎の戦いで光秀を討つ
1583
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破る。大坂城築城開始
1585
関白に就任
1590
小田原征伐。天下統一達成
1592
文禄の役(朝鮮出兵)
1598
伏見城にて死去(63歳)
深
さらに深く
生
生涯をくわしく
生い立ちから最期まで
1537年、尾張国中村の下級武士(農民とも)の子として生まれ、幼名を日吉丸と称した。身分の低い出自ながら若くして織田信長に仕え、機転・弁舌・行動力で急速に頭角を現した。墨俣一夜城の築城など伝説的な活躍で取り立てられ、長浜城主にまで出世した。1582年の本能寺の変では中国地方の毛利氏と交渉中だったが、「中国大返し」と呼ばれる驚異的な速度で引き返し、山崎の戦いで明智光秀を破り、清洲会議で信長の後継者としての地位を確立した。柴田勝家・徳川家康など信長旧臣を次々に従え、1585年に関白、1586年に太政大臣となり豊臣姓を賜った。1590年の小田原征伐で北条氏を滅ぼし、奥州仕置をもって全国統一を完成させた。太閤検地・刀狩令により兵農分離を推進し、近世封建社会の基盤を整えた。伏見城・大坂城など壮大な建築を手掛け、桃山文化の隆盛を体現した。晩年には文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に国力の多くを費やし、1598年に伏見城にて62歳で没した。
人
人物像
底抜けに明るく人を引きつける魅力的な性格で、農民から天下人へという立身出世の象徴となった。機転が利き交渉上手で、敵を武力でなく政治力で懐柔することを好んだ。一方で晩年は権力への執着と猜疑心が強まり、秀次事件など残酷な一面も見せた。
義
歴史的意義
全国統一を完成させ、近世日本の統治体制の礎を作った。太閤検地は全国の土地・生産高を統一基準で把握し、近代的な土地制度の先駆けとなった。刀狩令は兵農分離を促し、農民の武装解除によって社会秩序を安定させた。醍醐の花見など豪華な文化事業を推進し、安土桃山文化の隆盛を体現した。
辞
辞世の句
辞 世 の 句
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
系
家系図
系
家系図
お市
信長の妹
→
浅井長政
北近江の若武者
→
豊臣秀吉
→
茶々(淀殿)
秀吉側室・秀頼の母
→
初
京極高次室
徳川秀忠
→
江
秀忠正室・家光の母
言
名言と逸話
「露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
辞世
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」
事
関連する歴史的事件
1350
倭寇の活動
13-16世紀、朝鮮半島・中国大陸沿岸で活動した海賊・密貿易集団。時期により「前期倭寇」(14世紀中心、対馬・壱岐・松浦の日本人が主体)と「後期倭寇」(16世紀中心、中国人が主体・日本人は少数)に分かれる。前期倭寇は高麗末期から李氏朝鮮建国期に朝鮮沿岸を激しく襲い、高麗滅亡(1392)の一因となった。室町幕府は日明勘合貿易の一環で倭寇鎮圧を約束し、応永の外寇(1419朝鮮による対馬襲撃)などの対応があった。後期倭寇は王直(徽州商人)ら中国人頭目が率い、明の海禁政策下で密貿易と略奪を結合、豊後大友氏・肥前松浦氏など西日本大名も関与した。豊臣秀吉の海賊禁止令(1588)、徳川家康の朱印船貿易で鎮静化。東アジア海域世界の形成における重要な主体。
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記
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─ 完 ─
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