1537年、尾張国中村の下級武士(農民とも)の子として生まれ、幼名を日吉丸と称した。身分の低い出自ながら若くして織田信長に仕え、機転・弁舌・行動力で急速に頭角を現した。墨俣一夜城の築城など伝説的な活躍で取り立てられ、長浜城主にまで出世した。1582年の本能寺の変では中国地方の毛利氏と交渉中だったが、「中国大返し」と呼ばれる驚異的な速度で引き返し、山崎の戦いで明智光秀を破り、清洲会議で信長の後継者としての地位を確立した。柴田勝家・徳川家康など信長旧臣を次々に従え、1585年に関白、1586年に太政大臣となり豊臣姓を賜った。1590年の小田原征伐で北条氏を滅ぼし、奥州仕置をもって全国統一を完成させた。太閤検地・刀狩令により兵農分離を推進し、近世封建社会の基盤を整えた。伏見城・大坂城など壮大な建築を手掛け、桃山文化の隆盛を体現した。晩年には文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に国力の多くを費やし、1598年に伏見城にて62歳で没した。