spot/[id]

大徳寺
京都府
創建
1315
種別
寺院
アクセス
京都市バス「大徳寺前」下車すぐ
京都府京都市北区紫野大徳寺町53
Google Map で開く ↗
基本情報
寺院
創建 1315
711年目
御祭神・御本尊
釈迦如来
宗派
臨済宗大徳寺派
ご利益
厄除け・災難除け
浄化・お祓い
極楽往生
災厄消除・方位除け・疫病退散。不動明王・観音・祇園の神を祀る寺社で特に祈願される。
御祭神「釈迦如来」のご神徳に由来
概要
一休宗純や千利休とゆかりが深く、茶の湯文化の中心地となった臨済宗大徳寺派の大本山。文保2年(1318年)に宗峰妙超が開創。境内には24の塔頭寺院を擁し、それぞれに個性豊かな枯山水庭園が広がる「庭園の宝庫」。豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営んだことでも名高く、千利休の切腹の原因ともなった山門(金毛閣)が歴史の舞台として語り継がれる。紫野の静寂な環境に広がる境内は上賀茂・西陣文化圏の精神的核として今も機能する。
由緒
正中2年(1325年)、宗峰妙超(大燈国師)が開山。後醍醐天皇から「本朝無双之禅苑」の宸翰を賜り五山の上位に列せられた。応仁の乱で荒廃するも一休宗純が復興。天正11年(1583年)豊臣秀吉が織田信長の葬儀を挙行。千利休が三門(金毛閣)に自像を安置し秀吉の怒りを買い切腹に追い込まれた。

関連記事
10

もっと詳しく · 9

関連する歴史的事件
1

1483
東山文化
15世紀後半、8代将軍・足利義政の東山山荘(銀閣を含む)を中心に展開した文化。応仁の乱(1467-77)後の動乱のなかで、簡素・幽玄・侘び・禅の精神性を重んじる日本独自の美意識を確立した。銀閣(慈照寺観音殿・1489年造営)と東求堂同仁斎は書院造の原型。書院造は近代和風住宅の源流となり、畳・障子・床の間・違い棚・付け書院などの要素を備える。枯山水庭園(龍安寺石庭・大徳寺大仙院)、水墨画の大成(雪舟『四季山水図巻』『秋冬山水図』)、侘び茶の創始(村田珠光)、華道(池坊専慶)、能の台頭、連歌(宗祇『新撰菟玖波集』)など、後の日本文化の骨格が形成された。
もっと詳しく →
豊臣秀吉とのつながり
天正11年(1583年)、秀吉は本能寺の変で横死した織田信長の大規模な葬儀をこの大徳寺で執り行い、信長の後継者としての地位を天下に示した。また境内の塔頭・黄梅院や総見院には信長・秀吉ゆかりの墓所や木像が残る。
織田信長とのつながり
本能寺の変(1582年)で横死した信長の菩提を弔うため、秀吉が大徳寺で盛大な葬儀を催した。境内の総見院は信長の木像と墓所を有し、信長の菩提寺として今も信長の命日には法要が行われる。

ゆかりの人物
2

みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
御朱印
まだ御朱印の投稿がありません
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U