鎌倉時代初期の有力御家人。源頼朝の乳母・比企尼の養子として頼朝と深い縁を結び、鎌倉幕府草創期の重鎮となった。娘・若狭局が二代将軍・源頼家の側室となり、嫡男・一幡を産んだことで幕府における外戚の地位を確立。しかし建仁3年(1203年)、頼家が重病となり将軍職継承問題が浮上すると、北条時政は比企氏を排除すべく策略を巡らせた。9月2日、名越の北条邸に仏事を口実に誘い出された能員は、その場で謀殺される。直後、北条軍は比企谷の比企邸を急襲し、比企一族は壮絶な籠城戦の末に滅亡。能員の娘・若狭局、嫡孫・一幡(6歳)も命を落とした。末子・能本のみが生き延び、のちに日蓮聖人に帰依して、比企邸の旧跡に妙本寺を建立して一族を弔った。