spot/[id]

[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
蛇苦止堂
神奈川県
創建
1253
種別
神社
アクセス
神奈川県鎌倉市大町1-15-1(妙本寺境内)
Google Map で開く ↗
基本情報
神社
創建 1253
773年目
開基・創建者
日蓮(供養を執行・鎮守として勧請)
概要
妙本寺境内の東側、総門から急な石段を登った小高い場所に鎮座する蛇苦止堂は、日蓮宗妙本寺の鎮守として祀られる小祠です。本尊は蛇苦止明神(じゃくしみょうじん)。その正体は二代将軍・源頼家の側室であり、比企能員の娘でもある若狭局(わかさのつぼね、別名・讃岐局)の霊と伝えられます。建仁三年(1203年)の比企の乱において、北条軍に攻め滅ぼされた比企谷の屋敷で、若狭局は頼家との間に生まれた若君・一幡とともに命を落としたとも、家宝を抱いて屋敷の井戸「蛇形井(じゃけいせい)」に身を投じたとも伝わります。 約半世紀後、若狭局の恨みの霊が蛇身となって北条政村(義時の五男、第七代執権)の娘に取り憑き、病を引き起こしたと『吾妻鏡』は記します。日蓮聖人が法華経の功徳をもって供養し、比企谷の井戸の跡に「蛇苦止明神」として祀り鎮めたのが当堂の始まりとされます。現在の社殿は大正十四年(1925年)に再建されました。境…
もっと読む
由緒
蛇苦止堂の創建は、建仁三年(1203年)の比企の乱における若狭局(比企能員の娘、源頼家の側室)の最期に端を発します。北条時政の策略により謀殺された父・能員に続き、比企谷の屋敷を襲撃された若狭局は、家宝を抱えて屋敷内の井戸「蛇形井」に身を投げて命を絶ったと伝えられます。 約半世紀を経た建長年間(1249〜1256年)頃、若狭局の怨霊は蛇身となって当時の執権家・北条政村の娘に憑依し、激しい病を引き起こしたと『吾妻鏡』が記しています。北条家では加持祈祷を重ねても効果がなく、日蓮聖人に依頼して法華経の読誦による供養を行わせました。すると憑依していた蛇身は消え、娘の病は癒えたと伝えられます。この霊験を…
もっと読む
北条政子とのつながり
政子は比企一族を滅ぼした比企の乱(1203年)において、父・時政と共に北条方として関与した当事者の一人です。討たれた若狭局は、政子の息子・頼家の側室であり、政子にとって血脈上は孫・一幡の母でもありました。比企の乱は政子が我が子・頼家を廃し、孫・一幡の命を奪う決定に加わるという、母として最も苛酷な選択の結実でした。蛇苦止堂が鎮める若狭局の怨念は、その選択が生んだ因果の象徴そのものです。
北条義時とのつながり
義時は比企の乱の実行部隊を指揮した人物であり、若狭局が身を投げた比企谷の屋敷を襲撃した北条軍の主将。蛇苦止堂が鎮めようとする怨霊は、義時が手を下した暴力の結果生まれた霊でもあります。後に義時の次代、北条政村(義時五男)の娘が蛇身に憑かれたという伝承は、比企討伐の因果が北条本家の血筋に返ってきたと解釈することもできます。
比企能員とのつながり
若狭局の父。建仁3年(1203年)の比企の乱で北条時政の策略により謀殺され、一族は比企谷の屋敷で滅ぼされた。娘・若狭局も息子・一幡と共に命を落とし、井戸に身を投げたと伝わる。若狭局の怨霊譚は、父・能員の非業の死と一族の滅亡から生まれた因果の物語でもある。

ゆかりの人物
3

みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
御朱印
まだ御朱印の投稿がありません
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U