1304年、第9代執権・北条貞時の子として生まれた。父・貞時が1311年に没すると、わずか9歳で第14代執権に就任した。幼少ゆえ政務は大人の宿老に委ねられ、成長後も闘犬・田楽などの遊興に溺れて政治に無関心であった。実権は内管領の長崎円喜・高資父子が握り、得宗家の権威は形骸化していった。1326年には病を理由に執権職を北条守時に譲ったが、北条氏の当主として幕府に影響力を保ち続けた。後醍醐天皇が倒幕運動を起こすと、1331年の元弘の変を経て形勢は幕府に不利となった。1333年、足利高氏(尊氏)が後醍醐天皇方に寝返り、新田義貞が鎌倉に侵攻すると、最後の抵抗も虚しく幕府軍は総崩れとなった。同年5月22日、高時は鎌倉・東勝寺において北条一族・家臣ら約870人と共に自害し、鎌倉幕府は滅亡した。享年30。