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PERSON
葛飾北斎
葛飾北斎
浮世絵の巨匠
1760-1849 · 享年 89歳
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生涯
江戸時代後期の浮世絵師。江戸本所(現・墨田区)に生まれ、14歳で木版画彫師に弟子入り後、勝川春章に絵を学んだ。生涯に93回もの転居を行い、30以上の画号を使い分けるなど、型にはまらない自由な生涯を送った。代表作「富嶽三十六景」(「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」など)は日本美術の最高傑作の一つとして世界的に評価される。「北斎漫画」は西洋への日本美術普及に大きく貢献し、モネ・ゴッホ・ドガらフランス印象派の画家たちに「ジャポニスム」ブームを引き起こした。90歳を超えても画業を継続し、「あと数年あれば真に描ける」と語ったとされる。88歳のとき肺炎で没する直前まで筆を持ち続けた。
人物像
無類の絵への情熱と、常識を超えた自由な精神の持ち主。名声よりも創作を優先し、晩年に至るまで技術の向上を追い続けた。奇人・変人として知られる一方、弟子への指導には真摯で丁寧だったと伝わる。
歴史的意義
「神奈川沖浪裏」は世界で最も知られる日本の美術作品の一つとなり、現代のポップカルチャーにも影響を与え続けている。ジャポニスムを通じて西洋近代美術の方向性を変えた功績は計り知れない。墨田区立すみだ北斎美術館が遺産を保存・発信している。
辞世の句
辞 世 の 句
人魂で 行く気散じや 夏の原
逸話・エピソード
「神奈川沖浪裏」——世界で最も知られる日本の絵
「冨嶽三十六景」の一枚として1831年頃に制作された「神奈川沖浪裏」は、巨大な波の中に遠く富士山を描いた構図が西洋を席巻した。モネ・ゴッホ・ドビュッシーらがこの作品に強烈な影響を受け、「ジャポニスム」のブームを引き起こした。現在も世界各地の美術館に写本や複製が所蔵され、現代のポップカルチャー(切手・スマートフォンの絵文字・グッズなど)にまで浸透した日本美術史上最も国際的な作品の一つである。
90歳まで描き続けた絵師——「あと十年あれば」
北斎は生涯に93回の転居を繰り返し、30以上の雅号を名乗りながら、老いても画業への情熱を失わなかった。88歳で没する前日まで筆を持ち続け、「あと十年、いや五年の命があれば、真の絵師になれたものを」と語ったとされる。生涯の画業は3万点以上ともいわれ、浮世絵・風景画・漫画(北斎漫画)・妖怪画・春画と多様な分野を制覇した稀代の多作家だった。
関連する歴史的事件
1810
化政文化(爛熟の江戸町人文化)
19世紀前半、文化(1804-1818)・文政(1818-1830)年間を中心に江戸の町人を担い手として爛熟した文化。元禄文化が上方中心だったのに対し、化政文化は江戸が中心。退廃的・享楽的・写実的傾向が強く、幕末の動乱を予感させる爛熟期。浮世絵では葛飾北斎『富嶽三十六景』(1831年頃・神奈川沖浪裏)、歌川広重『東海道五十三次』(1833年)、喜多川歌麿(美人画)、東洲斎写楽(役者絵)が世界的な風景画・肉筆画の水準に到達、後にジャポニスムの起爆剤となった。文学では滝沢馬琴『南総里見八犬伝』(1814-1842年、全106冊)、十返舎一九『東海道中膝栗毛』、式亭三馬『浮世風呂』、為永春水の人情本、小林一茶の俳諧。蘭学も発達し伊能忠敬『大日本沿海輿地全図』(1821年)。
ゆかりの地 — 3
榛稲荷神社
東京都
葛飾北斎(1760-1849)は本所割下水(現・墨田区亀沢)に生まれ、生涯で93回引越しを繰り返しながらも本所地区を離れることはほとんどなかった。榛稲荷神社付近にも一時期居住したと伝えられ、この界隈の風景が北斎の作品に影響を与えた可能性がある。2016年に開館したすみだ北斎美術館は北斎の生誕地に建てられ、榛稲荷神社と合わせて「北斎の本所」を体感できるエリアとなっている。
すみだ北斎美術館
東京都
葛飾北斎(1760-1849)はこの墨田区亀沢付近の本所割下水で生まれた。生涯93回の引っ越しを繰り返しながらも、約70年間この界隈で描き続けた。「冨嶽三十六景」は70歳を過ぎてからの作品であり、90歳で没するまで「あと5年あれば本当の画工になれる」と語った。
葛飾北斎生誕の地碑
東京都
宝暦10年(1760年)、北斎はこの本所割下水で幕府御用の鏡磨き師・川村家に生まれた。幼名は時太郎。後に中島家の養子となるが離縁。19歳で浮世絵師・勝川春章に弟子入りし、以後「画狂老人卍」を含む30以上の画号を使い分けながら90歳まで描き続けた。
この人物のクイズ
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─ 完 ─
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