永禄8年(1565年)、徳川家康の重臣・本多正信の長男として生まれる。父とともに家康の側近として仕え、関ヶ原の戦い、大坂の陣にも従軍した。家康没後は将軍徳川秀忠の側近として幕政に参与し「老中」の地位に就いた。元和5年(1619年)、下総国佐倉から下野国宇都宮15万5千石に加増移封。宇都宮城の縄張りを大幅に拡張し、堀や土塁を新設する大改修を行うとともに、日光街道・奥州街道の経路を整備して城下町の骨格を作り上げた。ところが元和8年(1622年)、日光社参からの帰路に秀忠が宇都宮城に宿泊する計画が立てられた際、正純が城に暗殺用の「釣天井」を仕掛けたとする嫌疑(宇都宮城釣天井事件)が持ち上がり、宇都宮藩は改易。正純は出羽由利(後に横手)に配流され、寛永14年(1637年)に配所で没した。