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PERSON
徳川家茂
徳川家茂
甘党の若き将軍
1846-1866 · 享年 20歳
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生涯
1846年(弘化3年)、紀州藩主・徳川斉順の長男として生まれた。将軍継嗣問題の結果、南紀派に推されて1858年に13歳で第14代将軍に就任。1862年には公武合体政策の一環として孝明天皇の妹・和宮親子内親王を正室に迎えた。幕末の激動期に将軍として攘夷派と開国派の間で苦悩した。1866年、第二次長州征伐の指揮のため大坂城に入ったが、城中で脚気が悪化して病倒。同年7月20日に死去、享年21歳。遺骸の調査では31本の歯のうち30本が虫歯であったことが判明し、大の甘党であったことが裏付けられた。
人物像
温厚で誠実、人望があった。勝海舟のような辛辣な人物でさえ家茂を心から慕ったという。和宮との夫婦仲も良好で、政略結婚ながら互いに思いやった。
歴史的意義
幕末の激動を21歳の若さで背負い、志半ばで倒れた悲運の将軍。勝海舟が「徳川三百年の将軍で最も優れた人物」と評したほど人望があった。和宮は家茂の死後も深い愛情を持ち続け、明治維新後も徳川家の存続に尽力した。
逸話・エピソード
31本中30本が虫歯——甘党将軍の代償
家茂の遺骸が調査された際、残存する31本の歯のうち実に30本が虫歯に侵されていたことが判明した。家茂は大の甘党で、羊羹・氷砂糖・金平糖・カステラ・最中など砂糖をたっぷり使った菓子を好んで食べていた。当時は歯ブラシが存在せず、房楊枝(ふさようじ)で歯を清掃するのが一般的であったため、虫歯の進行を止めることは困難であった。生まれつきエナメル質が薄い体質でもあったとされる。この深刻な虫歯は慢性的な痛みと栄養不良を引き起こし、脚気と併せて21歳での早世の一因となった可能性が指摘されている。
ゆかりの地 — 1
佐藤本陣跡
神奈川県
文久3年(1863年)3月4日、14代将軍・徳川家茂は、3代将軍家光の寛永11年(1634年)以来229年ぶりとなる将軍上洛を行い、江戸を発って東海道を上った。その初日の宿所となったのが川崎宿の佐藤本陣であった。上洛の目的は孝明天皇と攘夷の期日について協議することで、当時17歳の家茂は和宮との婚姻で公武合体の象徴となっていたが、実際は朝廷の強硬攘夷要求と幕府の開国現実論との板挟みに苦悩する旅であった。この上洛は家茂4度の上洛の初回で、後に慶応2年(1866年)大坂城で病没する21歳の短い将軍生涯を象徴する政治的転機となった。佐藤本陣はその歴史的旅の第一夜の宿として、幕末史に名を刻んでいる。
─ 完 ─
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