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PERSON
井伊直政
井伊直政
井伊の赤備え・徳川四天王
1561-1602 · 享年 41歳
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生涯
1561年、遠江井伊谷の井伊直親の遺児として生まれた。父が謀殺されたため井伊家は一時断絶の危機に瀕したが、徳川家康に見出されて仕えることになった。家康に最も寵愛された武将の一人で、武勇と知略を兼ね備え、「井伊の赤備え」と呼ばれる赤一色の鎧・旗指物で武装した精鋭騎馬隊を率いた。この赤備えは武田信玄の旧臣・山県昌景の部隊の伝統を受け継いだものであり、戦場で最も恐れられた部隊の一つであった。1600年の関ヶ原の戦いでは東軍の先鋒として活躍したが、戦後に旧・島津軍の落ち武者に銃撃されて重傷を負い、1602年に42歳で没した。徳川四天王(本多忠勝・酒井忠次・榊原康政)の一人に数えられ、戦後に近江彦根12万石を与えられた。彦根城は現存天守を持つ国宝に指定されており、現代も多くの観光客を集めている。
人物像
猛烈な戦闘意欲と冷静な判断力を兼ね備えた武将。家康への絶対的な忠義心と部下への思いやりを持つ名将であった。若くして家康に見出されたことへの感謝が、その忠義の根底にあったと言われる。
歴史的意義
井伊の赤備えは江戸時代を通じて彦根藩の象徴であり続けた。彦根城は現存天守を持つ国宝に指定されており、ゆるキャラ「ひこにゃん」の故郷として現代でも多くの観光客を集めている。
逸話・エピソード
赤備えの鬼将——徳川四天王で最も恐れられた武神
井伊直政は武田の旧臣たちを家康に取り立てて自軍に組み入れ、赤備えの精鋭部隊を作り上げた。この「井伊の赤備え」は関ヶ原(1600年)でも最前線を担い、大谷吉継隊などと激しく戦った。直政は戦中に銃弾を受けながらも戦い続け、敵将・島津義弘の撤退戦(島津の退き口)に際しても追撃を続けた。この負傷が原因で関ヶ原の翌年(1602年)に42歳で没した。近江彦根藩の基礎を築いた直政の赤備えは、彦根藩の象徴として江戸時代を通じて受け継がれた。
名言
辞世
「主のために尽くし、義のために死す。それ以上の誉れはなし」
ゆかりの地 — 2
彦根城
滋賀県
井伊直政は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍の先鋒として奮戦し、徳川家康から近江18万石を拝領した。翌年に戦傷が原因で没したが、子・直継(のちに直孝が実質整備)が彦根城を築城した。「井伊の赤備え」で名を馳せた直政の武功こそが彦根藩400年の礎であり、この城は直政の遺志が結晶した名城である。
関ヶ原古戦場
岐阜県
井伊直政は「井伊の赤備え」の旗本を率いて東軍の先鋒として活躍した。関ヶ原本戦では島津義弘の退却軍を追撃する際に銃撃を受け重傷を負った。この傷が遠因となり翌年に死去するが、その武功が認められ子・直継が近江彦根に大封を賜った。彦根藩井伊家繁栄の礎はこの関ヶ原での奮戦にある。
この人物のクイズ
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─ 完 ─
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