神吉頼定
神吉頼定
神吉城主・三木合戦の悲劇の武将
1550-1578 · 享年 28歳
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1 ヶ所
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神吉城
兵庫県
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生涯
天文19年(1550年)、神吉城主・神吉頼氏の子として生まれる。神吉氏は赤松氏の庶流で、播磨国印南郡神吉(現・兵庫県加古川市神吉町)に一万石を領した。天正6年(1578年)、羽柴秀吉による播磨侵攻(三木合戦)に際し、主家筋にあたる三木城主・別所長治側に与し、別所氏から援兵約1800を受けて神吉城に籠城した。同年6月23日に始まった神吉城攻めでは織田信忠・明智光秀・佐久間信盛・荒木村重ら約3万の大軍を相手に約2000の兵で奮戦し、緒戦の大村坂の戦いでは織田方を撃退する戦果を挙げたと伝わる。しかし佐久間信盛の調略により叔父・神吉貞光が織田方に寝返り、頼定は同年7月16日、28歳で落命し神吉城も落城した(暗殺されたとする説と、討死したとする説がある)。
人物像
大軍相手に一時は撃退するほどの武勇を示したが、身内の裏切りによって非業の最期を遂げた悲劇の若き城主として語り継がれる。
歴史的意義
神吉城の中の丸跡は現在、常楽寺として整備されており、本堂裏の墓地には頼定の墓が残る。三木合戦の激戦を伝える史跡として地域の歴史学習の場となっている。
さらに深く
家系図
家系の記録は未登録です。
─ 完 ─
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