平忠盛の長男として生まれ、武家出身者として初めて太政大臣に就任した平安末期最大の権力者。保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)で源義朝らを破り、平氏政権の基盤を固めた。1167年に太政大臣となり、娘・徳子を高倉天皇に入内させて外孫・安徳天皇を即位させるなど、藤原氏が独占していた外戚政治を武家として初めて実現した。日宋貿易を積極的に推進し、大輪田泊(現神戸港)を整備して経済的な富も蓄積した。厳島神社を一族の氏神として厚く庇護し、現在の社殿の大半は清盛の造営によるものである。1179年には後白河法皇を幽閉して独裁体制を確立したが、翌年の治承四年の政変で以仁王の令旨が発せられ、全国で源氏が挙兵する契機となった。1181年、熱病に倒れ63歳で没した。その栄華と没落は『平家物語』の主題となり、「祇園精舎の鐘の声」で始まる諸行無常の象徴として後世に伝えられた。