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PERSON
平清盛
平清盛
平家の棟梁・太政大臣
1118-1181 · 享年 63歳
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生涯
平忠盛の長男として生まれ、武家出身者として初めて太政大臣に就任した平安末期最大の権力者。保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)で源義朝らを破り、平氏政権の基盤を固めた。1167年に太政大臣となり、娘・徳子を高倉天皇に入内させて外孫・安徳天皇を即位させるなど、藤原氏が独占していた外戚政治を武家として初めて実現した。日宋貿易を積極的に推進し、大輪田泊(現神戸港)を整備して経済的な富も蓄積した。厳島神社を一族の氏神として厚く庇護し、現在の社殿の大半は清盛の造営によるものである。1179年には後白河法皇を幽閉して独裁体制を確立したが、翌年の治承四年の政変で以仁王の令旨が発せられ、全国で源氏が挙兵する契機となった。1181年、熱病に倒れ63歳で没した。その栄華と没落は『平家物語』の主題となり、「祇園精舎の鐘の声」で始まる諸行無常の象徴として後世に伝えられた。
人物像
豪快で行動力に優れ、新しいものへの好奇心と開明性を持つ一方、権力を握るにつれ独断専横の面が強まった。日宋貿易への傾注や厳島神社の整備に見られるように、文化・経済への深い関心を持ち、単純な武断政治家ではなかった。しかし後白河法皇を幽閉するなど強権的手法も辞さず、その強引さが平氏滅亡の遠因となった。
歴史的意義
武士が公家社会の頂点に立つ道を開き、後の武家政権の先駆けとなった。厳島神社の社殿(世界遺産)、兵庫・大輪田泊の整備など、現代にも残る文化的・経済的遺産は多い。『平家物語』を通じて「盛者必衰」の象徴として日本人の美意識に深く根ざしており、琵琶法師の語りとともに中世文学の最高傑作の主人公となった。
逸話・エピソード
日宋貿易と厳島神社
大輪田泊(現・神戸港)を整備し日宋貿易を推進。厳島神社を壮麗に造営して平家の守護神とした。武家として初めて太政大臣に昇り、「平氏にあらずんば人にあらず」の栄華を極めた。
高熱の死
1181年、原因不明の高熱に苦しみ「頼朝の首を墓前に供えよ」と遺言して死去。享年64。水をかけても蒸発するほどの高熱だったと伝わる。
平清盛 年表
1118
平清盛、伊勢平氏の嫡男として生まれる
1156
保元の乱で武功を挙げる
1159
平治の乱で源義朝を破る。源頼朝を伊豆に流す
1167
武士として初めて太政大臣に就任
1171
娘・徳子が高倉天皇に入内
1178
安徳天皇誕生。外祖父として権力の頂点に
1180
福原遷都を強行。源頼朝が挙兵
1181
熱病により死去(64歳)
関連する歴史的事件
1156
保元の乱
1156年、崇徳上皇と後白河天皇の皇位継承争いに藤原氏・源氏・平氏の内紛が絡み合って起きた京都での戦い。崇徳上皇方には源為義・平忠正らが、後白河天皇方には源義朝・平清盛らが付いた。夜戦を主張した義朝の献策が採用され、白河北殿への夜襲で崇徳上皇方は壊滅した。戦後、崇徳上皇は讃岐に配流、源為義・平忠正らは斬首された。武士が貴族の争いに武力で介入し勝敗を決した画期的事件であり、以後の武家勢力台頭を決定付けた。
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ゆかりの地 — 2
壇ノ浦古戦場跡
山口県
平清盛は壇ノ浦の戦いの6年前に没していたが、孫の安徳天皇と娘婿の一族をはじめ平家一門がこの戦いで滅亡した。清盛が築いた栄華の終焉の地であり、平家物語「諸行無常」を象徴する史跡である。
能福寺
兵庫県
平清盛は治承4年(1180年)の福原遷都に際して当寺を中興し、福原京の宗教的中心の一つに位置づけた。翌治承5年(1181年)当寺で剃髪・出家したと伝わり、同年閏2月に福原で熱病により没した後、遺骨は当寺に葬られたとされる。境内に残る「平相国廟」は清盛の墓所として後世に伝わり、源平合戦の劇的な歴史を今に伝える神戸の重要な史跡となっている。
─ 完 ─
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