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壇ノ浦古戦場跡
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壇ノ浦古戦場跡
山口県
創建
1185
種別
史跡
アクセス
JR下関駅からバス15分
山口県下関市みもすそ川町1
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基本情報
史跡
創建 1185
841年目
概要
寿永4年(1185年)3月24日、源義経率いる源氏軍と平知盛率いる平家軍が激突し、平家が滅亡した源平合戦最後の決戦の地。関門海峡の急潮を利用した海戦で、二位の尼が幼い安徳天皇を抱いて入水し、平家一門が次々と海に身を投げて終焉を迎えた。現在は関門海峡を望む公園として整備され、源義経と平知盛の像や「壇ノ浦の戦い」の解説板が建つ。平家物語の悲劇的結末を今に伝える歴史的聖地で、対岸の九州北部と結ぶ関門橋が海峡にかかる景勝地でもある。
由緒
寿永4年(1185年)3月24日、現在の山口県下関市沖の関門海峡において、源義経率いる源氏軍と平知盛率いる平家軍との間で壇ノ浦の戦いが繰り広げられた。これは治承・寿永の乱(源平合戦)における最後の決戦であり、この海戦をもって平家は滅亡した。戦いでは関門海峡の急流・潮流を巧みに利用した攻防が展開され、形勢が源氏方に傾くと、平家の女官・二位の尼(平時子)が幼い安徳天皇を抱いて入水し、平家一門も次々と海に身を投じた。安徳天皇はこのとき数え年8歳であったとされる。この悲劇的な結末は後世の軍記物語『平家物語』に詳述され、日本文学・文化に深く刻まれた。明治期以降、古戦場跡は整備が進み、源義経と平知盛の像が…
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源義経とのつながり
源義経は壇ノ浦の戦いで源氏軍の総大将として平家を打ち破り、源平合戦の最終決戦を勝利に導いた。潮の流れを読み、船の漕ぎ手を狙う戦術で知られる「八艘跳び」の逸話はこの戦いで生まれた。義経の勝利により平家は滅亡し、源氏の世が到来した。
平清盛とのつながり
平清盛は壇ノ浦の戦いの6年前に没していたが、孫の安徳天皇と娘婿の一族をはじめ平家一門がこの戦いで滅亡した。清盛が築いた栄華の終焉の地であり、平家物語「諸行無常」を象徴する史跡である。

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