1850年、ギリシャのレフカダ島でアイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。本名パトリック・ラフカディオ・ハーン。幼少期に両親が離婚し、大叔母に育てられたが、不遇な少年時代を過ごした。16歳で左目を失明。1869年にアメリカに渡り、シンシナティやニューオーリンズでジャーナリストとして活動。クレオール文化への関心から異文化研究の素養を培った。1890年、雑誌社の特派員として来日し、島根県松江の尋常中学校で英語教師として赴任。松江では小泉セツと出会い結婚。松江の武家屋敷で暮らしながら、日本の風習・信仰・怪談に深く魅了された。その後、熊本の第五高等学校、神戸の英字新聞社を経て、1896年に東京帝国大学の英文学講師に就任。同年、日本に帰化し「小泉八雲」と改名した。代表作「怪談」(Kwaidan, 1904年)は「耳なし芳一」「雪女」「むじな」など日本の怪異譚を英語で再話した作品集で、西洋における日本文化理解に決定的な影響を与えた。また「知られぬ日本の面影」(Glimpses of Unfamiliar Japan, 1894年)では松江での体験を通じて日本の精神文化を詩的に描写した。八雲は14年間の日本滞在中に12冊以上の日本関連の著作を残し、他のどの作家よりも深く西洋の日本観を形成した。1904年、狭心症のため東京で54歳で死去。