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都電荒川線都電雑司ヶ谷停留場から徒歩2分、東京メトロ副都心線雑司が谷駅から徒歩8分
東京都豊島区南池袋4-25-1
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明治7年(1874年)9月1日に開設された東京都営霊園で、面積約11.5ヘクタール。江戸時代には寛永15年(1638年)より御鷹部屋の御薬園、享保4年(1719年)から将軍家の御鷹部屋(鷹狩用の鷹の飼育施設)が設けられていた幕府直轄地で、明治維新後の神仏分離令と火葬制限令を受けた共葬墓地整備の一環として府営墓地として出発、後に東京市営・都営へと引き継がれた。11,500余の墓域には近代日本を彩った数多くの著名人が眠り、文学者では夏目漱石(小説『こゝろ』にも登場)、永井荷風、泉鏡花、竹久夢二、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、島村抱月、大町桂月、近代美術では岸田劉生、社会では日本初の邦人太平洋横断の立役者ジョン万次郎(中浜万次郎)、政界では大正デモクラシーの尾崎行雄、そして首相経験者の東條英機らが葬られる。特に漱石の墓は門下・文学ファンの巡礼地として今日も絶えず訪問者を迎える。桜並木の霊園内…
江戸期は寛永15年(1638年)からの御鷹部屋御薬園、享保4年(1719年)からの将軍御鷹部屋が置かれた幕府直轄地。明治7年(1874年)、神仏分離令と火葬制限令を受けた共葬墓地整備の一環として府営墓地として開設された。のち東京市・東京都に移管、面積11.5ヘクタール。夏目漱石・小泉八雲・永井荷風・ジョン万次郎・東條英機など11,500余柱が眠る近代日本の重要な文化遺産。
夏目漱石は大正5年(1916年)12月9日、早稲田南町の漱石山房で胃潰瘍により49歳で没し、葬儀ののち雑司ヶ谷霊園に埋葬された。その墓は漱石自身が生前に『こゝろ』で先生が自殺する場面の舞台として描写した「広い雑司ヶ谷の墓地」として作品に登場しており、作家と作品を繋ぐ象徴的な場所となっている。毎年門下・読者による墓参が絶えず、近代日本文学を志す者にとっての巡礼地である。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は明治37年(1904年)9月26日に牛込区西大久保(現・新宿区大久保)で狭心症により54歳で没し、雑司ヶ谷霊園に葬られた。遺族の意向により日本式の葬儀が営まれ、墓石には「八雲」「小泉家之墓」と刻まれる。英語圏に日本文化を紹介した功績により今日も国内外からの墓参者が絶えず、墓前には献花が絶えない。
土佐国中浜村の漁師から鎖国期の日本人として初めてアメリカ本土に渡り、帰国後は幕府・明治政府の通訳・教師として近代日本の英学・航海術の草創を担ったジョン万次郎(中浜万次郎、1827-1898)も、明治31年(1898年)の没後に雑司ヶ谷霊園に葬られた。幕末・明治の国際交流史を象徴する人物の墓として、歴史研究者の訪問が絶えない。
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