文久3年(1863年)9月18日夜、新選組の初代筆頭局長・芹沢鴨が京都壬生の八木邸において暗殺された事件。芹沢は水戸藩出身の豪傑で、新選組草創期に近藤勇と並ぶ局長として組織を牽引したが、粗暴な行動と酒乱で度重なる問題を起こしていた。当夜、芹沢は大酒を飲んで就寝したところを、近藤・土方らの刺客に急襲された。愛人・小梅と平山五郎も共に殺害された。この暗殺は会津藩の黙認のもとで実行されたとも伝わる。芹沢の死後、近藤勇が新選組の単独局長として実権を握り、土方歳三との二頭体制で組織の近代化と規律強化を推し進めた。新選組という組織の権力闘争を象徴する事件として幕末史に刻まれている。
近藤勇は芹沢暗殺後、新選組の単独局長となった。この決断により組織の一元化が実現し、以後の新選組の発展の礎が築かれた。