慶応4年(1868年)3月、戊辰戦争の局面が転換するなか、甲州勝沼の戦い(3月6日)および宇都宮城の戦いで新選組は相次いで敗北を喫した。局長・近藤勇は「大久保大和」と偽名を用い、同年4月3日に流山の醸造家・長岡屋の屋敷を本陣として陣を構えた。翌4日、新政府軍(東山道鎮撫隊)に四方を包囲されると、近藤は部隊への累が及ぶことを避けるべく自ら出頭・投降した。新政府首脳の三条実美らに身分を問われた近藤は、当初偽名を貫いたとされるが、最終的に素性が判明し板橋へ移送された。同年4月25日、板橋の刑場において斬首刑に処され、享年35歳で生涯を閉じた。この地は幕末史における「近藤勇最後の陣地」として広く認識さ…