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近藤勇陣屋跡・流山市立博物館
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近藤勇陣屋跡・流山市立博物館
千葉県
創建
1868
種別
史跡
アクセス
流鉄流山線流山駅から徒歩約5分
千葉県流山市流山6丁目670付近
Google Map で開く ↗
基本情報
史跡
創建 1868
158年目
概要
慶応4年(1868年)4月3日、甲州勝沼の戦い・宇都宮城の戦いに敗れた新選組局長・近藤勇が「大久保大和」と偽名を使って流山に陣を張り、翌4日に新政府軍に包囲されて自ら出頭・投降した地。近藤は三条実美ら新政府首脳に自らの身分を問われ、最終的に板橋に移送された。同月25日、板橋の処刑場で斬首され、享年35歳で壮絶な最期を迎えた。流山はいわば「近藤勇最後の陣地」として幕末史上に名を刻む地。現在は流山市立博物館が近接して建てられており、新選組と流山の歴史を詳しく紹介している。毎年4月には近藤勇・土方歳三をしのぶイベントが催され、全国からファンが集まる聖地となっている。
由緒
慶応4年(1868年)3月、戊辰戦争の局面が転換するなか、甲州勝沼の戦い(3月6日)および宇都宮城の戦いで新選組は相次いで敗北を喫した。局長・近藤勇は「大久保大和」と偽名を用い、同年4月3日に流山の醸造家・長岡屋の屋敷を本陣として陣を構えた。翌4日、新政府軍(東山道鎮撫隊)に四方を包囲されると、近藤は部隊への累が及ぶことを避けるべく自ら出頭・投降した。新政府首脳の三条実美らに身分を問われた近藤は、当初偽名を貫いたとされるが、最終的に素性が判明し板橋へ移送された。同年4月25日、板橋の刑場において斬首刑に処され、享年35歳で生涯を閉じた。この地は幕末史における「近藤勇最後の陣地」として広く認識さ…
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関連する歴史的事件
1

1868
甲州勝沼の戦い
慶応4年(1868年)3月6日、甲府城を目指して甲州街道を西進する旧幕府軍・甲陽鎮撫隊(近藤勇・土方歳三率いる新選組の後継部隊)と、板垣退助率いる新政府軍が山梨県勝沼付近で激突した戦い。甲陽鎮撫隊は約230名で甲府城を確保しようとしたが、新政府軍の強力な洋式装備(ミニエー銃・大砲)の前に壊滅的な打撃を受けてわずか1日で敗退した。敗走した近藤・土方は甲州街道を逆戻りして江戸へ退却し、流山(千葉)で再起を図った。この敗戦が近藤勇の流山投降につながる直接の契機となった。甲府城(舞鶴城公園)周辺には当時の戦いを伝える史跡が残っている。
もっと詳しく →
近藤勇とのつながり
流山は近藤勇が最後に指揮を執った地。「大久保大和」と名乗って陣を構えたが、慶応4年4月4日に新政府軍に包囲され、同志を救うために自ら投降した。板橋での斬首まで、近藤は最期まで武士の誇りを貫いた。流山の地が近藤の最後の自由な時間を過ごした場所として、今も深い敬意を持って語り継がれている。

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