近藤綱秀
近藤綱秀
榎本城主・八王子城で討死
?-1590 · 享年 1590歳
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ゆかりの地 1か所
近藤綱秀を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
榎本城
栃木県
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生涯
生年は不詳。後北条氏の一族・北条氏照に仕えた武将で、和泉守を称した。天正11年(1583年)頃、氏照が下総国小山方面へ勢力を伸ばした際、榎本城(下野国都賀郡、現・栃木市大平町)を任されてその経営にあたった。天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が始まると、綱秀は氏照の命により本拠のひとつである八王子城の防衛に加わった。同年6月23日、前田利家・上杉景勝・真田昌幸らが率いる1万5千の大軍が八王子城に殺到し、綱秀ら約3千の守備兵は奮戦の末、討死した。主が留守にしていた榎本城はこの隙をついた結城晴朝に攻められて落城し、以後は結城氏の管理下に入った。
人物像
主君・氏照の信頼厚く、遠隔地の城の経営を任されるほどの実務能力を持つ武将だったと考えられる。
歴史的意義
八王子城での討死と、その隙を突かれた榎本城落城は、小田原征伐で後北条方の諸城が各個撃破されていった様相を象徴する逸話として伝わる。
─ 完 ─
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