車斯忠
車斯忠
佐竹家臣・車丹波守
?-1602 · 享年 1602歳
ま だ 出 会 っ て い ま せ ん
吉田城(常陸国)を訪れると出会えます
ゆかりの地 1か所
車斯忠を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
みんなの声
推しへの想い・おすすめ作品・豆知識を語り合おう。
ログインすると投稿できます
生涯
常陸車城主・車兵部大輔義秀の子として生まれる(生年不詳)。佐竹北家4代当主・佐竹義斯から偏諱を受けたとされる。父が岩城氏から佐竹氏に降った経緯から、半ば人質同然として佐竹義重に仕えた。智謀に優れ、元亀2年(1571年)に和田昭為が出奔した後は多くの外交工作を担った。天正18年(1590年)、佐竹義宣が江戸氏を攻略し水戸を領すると、吉田城が与えられ居館とした。慶長5年(1600年)の会津征伐前には上杉景勝の下で福島城・梁川城に在番。関ヶ原の戦い後、佐竹氏の常陸54万石から出羽秋田18万石への転封に強く反発し、妹婿の大窪久光らと水戸城奪還を企てたが失敗。捕らえられ、慶長7年7月(1602年8月)、磔刑に処された。
人物像
武勇よりも智謀に優れた外交・調略型の家臣で、主家への忠誠心が強く、転封という主家の決定にすら命がけで異を唱えた気骨の持ち主だった。
歴史的意義
吉田城を居館とした佐竹氏時代の重臣として知られ、その最期の水戸城奪還未遂は佐竹転封に反発した家臣の悲劇として語り継がれる。
─ 完 ─
アプリで巡礼を楽しむ
アプリで見る