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伊達政宗
像
伊達政宗
奥州の独眼竜
1567-1636 · 享年 69歳
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驚
へぇ、と思う三話
其 一
独眼竜
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幼少期に天然痘で右目を失い「独眼竜」と呼ばれた。自ら膿んだ目を刀で抉り出したとする伝説もある。隻眼のハンデを超え、東北の覇者となった。
其 二
慶長遣欧使節
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1613年、家臣・支倉常長をスペインとローマに派遣。太平洋・大西洋を渡る壮大な外交使節であり、政宗の世界的視野を示すが、キリシタン禁制の中で成果は限定的であった。
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深
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生
生涯をくわしく
生い立ちから最期まで
出羽国米沢(現山形県)に伊達輝宗の嫡男として生まれる。幼少期に疱瘡で右目を失い、「独眼竜」と呼ばれるようになった。18歳で家督を継ぐと苛烈な拡張政策を推し進め、20代前半で陸奥・出羽の大半を制圧し奥州最大の大名へと成長した。1589年の摺上原の戦いで会津の蘆名氏を滅ぼし、最大版図を誇った。しかし豊臣秀吉の天下統一によって大幅に領土を削られ、仙台藩62万石の大名として落ち着いた。関ヶ原の戦いでは徳川方に付き、その後仙台城を築いて城下町を整備した。1613年にはローマ教皇へ使節(慶長遣欧使節)を派遣するなど国際的な視野も持ち、仙台藩の産業・農業・文化の振興に尽くした。晩年も江戸で徳川幕府との関係を維持しながら、1636年に70歳で江戸にて死去した。
人
人物像
豪放磊落で知られ、戦場では先陣を切る猛将である一方、詩歌・料理・茶の湯など文化に対する深い造詣も持った。「伊達者」という言葉の語源とも言われるほど派手な意匠を好み、三日月の前立てを付けた兜は彼の象徴となった。逆境にも動じない強靭な精神力と、時代を見通す戦略的知性を併せ持っていた。
義
歴史的意義
東北地方の開発と仙台城下町の建設によって、現代の仙台市の礎を築いた。慶長遣欧使節はアジア初のヨーロッパ外交使節のひとつとして歴史的意義を持つ。独眼竜のイメージは現代でも絶大な人気を誇り、大河ドラマや漫画などで繰り返し描かれる戦国時代の英雄像の代表格となっている。
辞
辞世の句
辞 世 の 句
曇りなき心の月を先立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く
系
家系図
親
父
1544-1585
伊達輝宗
伊達氏17代当主。政宗に家督を譲った直後、二本松義継に拉致され射殺された。
本
本人
伊達政宗
1567-1636
子
長男
1591-1658
伊達光宗
仙台藩第二代藩主として藩政を安定させた。
言
名言と逸話
辞世
「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照らしてぞゆく」
記
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仙
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隻
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─ 完 ─
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