出羽国米沢(現山形県)に伊達輝宗の嫡男として生まれる。幼少期に疱瘡で右目を失い、「独眼竜」と呼ばれるようになった。18歳で家督を継ぐと苛烈な拡張政策を推し進め、20代前半で陸奥・出羽の大半を制圧し奥州最大の大名へと成長した。1589年の摺上原の戦いで会津の蘆名氏を滅ぼし、最大版図を誇った。しかし豊臣秀吉の天下統一によって大幅に領土を削られ、仙台藩62万石の大名として落ち着いた。関ヶ原の戦いでは徳川方に付き、その後仙台城を築いて城下町を整備した。1613年にはローマ教皇へ使節(慶長遣欧使節)を派遣するなど国際的な視野も持ち、仙台藩の産業・農業・文化の振興に尽くした。晩年も江戸で徳川幕府との関係を維持しながら、1636年に70歳で江戸にて死去した。