応保2年(1162年)生まれ。下野国の有力豪族・小山政光の次男。元暦元年(1184年)、下野国芳賀郡長沼(現・栃木県真岡市長沼)に長沼城を築き、地名から長沼氏を称した。治承4年(1180年)に源頼朝に従属して以降、寿永2年(1183年)の野木宮合戦で志田義広を討ち、文治5年(1189年)の奥州合戦にも従軍するなど各地を転戦した。承久3年(1221年)の承久の乱後には戦功により摂津国守護職・淡路国守護職に補任され、淡路守護職は鎌倉時代末期まで長沼氏に相伝された。『吾妻鏡』には「荒言悪口の者」と評され、しばしば激昂する荒々しい坂東武者だったと伝わる。仁治元年(1240年)、下野長沼荘で79歳で没した。