1549年頃、尾張国の杉原定利の娘として生まれた(一説には生年が1546年とも)。杉原家は浅野家とも縁戚にあたる。18歳頃に木下藤吉郎(後の秀吉)に嫁ぎ、まだ織田家の足軽に過ぎなかった夫の出世を内助の功で支え続けた。聡明で気配りのある賢夫人として知られ、織田信長も「はげねずみ(秀吉)にはもったいない妻だ」と褒めたたえたと伝わる。秀吉の天下統一後は豊臣家の正室・北政所として奥向きを統括し、加藤清正・福島正則・浅野長政ら子飼いの武将たちの精神的な母親的存在として大きな影響力を持った。秀吉の死後は出家して「高台院」を号した。1600年の関ヶ原の戦いでは家康方に好意的な立場を取ったとされ、このことが子飼い武将たちの東西分裂の一因となったとも言われる。1624年に76歳で没した後、遺言に従い京都東山に高台寺が建立された。