安房国長狭郡(現在の千葉県鴨川市)の漁師の家に生まれ、12歳で近くの清澄寺に入り出家した。比叡山・奈良・高野山・四天王寺などを遍歴して諸宗を学び、20年余の研鑽の末に「法華経こそが釈迦の真意であり、末法の世を救う唯一の教えである」と確信した。1253年4月28日、故郷・清澄山の頂上で日の出に向かい「南無妙法蓮華経」の題目を初めて高唱し、日蓮宗を開いた。鎌倉に移って辻説法(街頭説法)を行い、念仏・禅・真言・律の四宗を「亡国の悪法」と厳しく批判した。1260年には疫病・飢饉・天変地異が続く原因を分析した『立正安国論』を執権・北条時頼に提出し、「正法を捨てれば他国侵逼(蒙古来襲)が起こる」と予言した。その後、松葉ヶ谷法難(1260年)・伊豆流罪(1261年)・小松原法難(1264年)・龍口法難(1271年、処刑寸前に免れた)・佐渡流罪(1271年)という五つの大きな迫害を経験したが、一度も信念を曲げることはなかった。1282年、身延山久遠寺から療養のため下山途中に武蔵国(現在の東京都大田区)の池上宗仲邸で61歳にて入滅した。