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日蓮
日蓮
日蓮宗開祖・不屈の行者
1222-1282 · 享年 60歳
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驚
へぇ、と思う三話
其 一
立正安国論
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1260年、幕府に「立正安国論」を提出。正法を立てなければ国難が来ると予言し、実際に蒙古襲来が的中。しかし幕府に迫害され、伊豆や佐渡に流罪となった。
其 二
龍ノ口法難
1271年、龍ノ口(現・藤沢市)で処刑されかけたが、突如雷光が走り刑が中止された。日蓮宗では「龍ノ口法難」として最大の奇跡とされる。
地
日蓮を訪ねる
25 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
寺
延暦寺横川
滋賀県
寺
妙法寺(鎌倉大町・苔寺)
神奈川県
善國寺
東京都
寺
大明寺
神奈川県
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深
さらに深く
生
生涯をくわしく
生い立ちから最期まで
安房国長狭郡(現在の千葉県鴨川市)の漁師の家に生まれ、12歳で近くの清澄寺に入り出家した。比叡山・奈良・高野山・四天王寺などを遍歴して諸宗を学び、20年余の研鑽の末に「法華経こそが釈迦の真意であり、末法の世を救う唯一の教えである」と確信した。1253年4月28日、故郷・清澄山の頂上で日の出に向かい「南無妙法蓮華経」の題目を初めて高唱し、日蓮宗を開いた。鎌倉に移って辻説法(街頭説法)を行い、念仏・禅・真言・律の四宗を「亡国の悪法」と厳しく批判した。1260年には疫病・飢饉・天変地異が続く原因を分析した『立正安国論』を執権・北条時頼に提出し、「正法を捨てれば他国侵逼(蒙古来襲)が起こる」と予言した。その後、松葉ヶ谷法難(1260年)・伊豆流罪(1261年)・小松原法難(1264年)・龍口法難(1271年、処刑寸前に免れた)・佐渡流罪(1271年)という五つの大きな迫害を経験したが、一度も信念を曲げることはなかった。1282年、身延山久遠寺から療養のため下山途中に武蔵国(現在の東京都大田区)の池上宗仲邸で61歳にて入滅した。
人
人物像
烈火のごとき信念の持ち主。法華経以外の教えを徹底的に批判する「四箇格言」で知られる。何度迫害されても屈しない不屈の精神は、敵からも畏敬された。
義
歴史的意義
鎌倉仏教の中で最も戦闘的な宗祖。日蓮宗は現在も信徒が多く、創価学会など多くの団体の源流となった。龍口寺・妙本寺など鎌倉に多くのゆかりの地がある。
系
家系図
親
父
不詳
貫名重忠(父)
安房国の漁師。
本
本人
日蓮
1222-1282
事
関連する歴史的事件
1200
鎌倉文化
12〜13世紀、武士政権の成立とともに展開した力強く写実的な文化。公家文化(伝統)と武家文化(新興)、宋・元からの新しい影響が融合した。彫刻では運慶・快慶ら慶派が東大寺南大門金剛力士像(1203年)、興福寺北円堂無著・世親像などの傑作を残した。建築では東大寺南大門の大仏様、円覚寺舎利殿の禅宗様が伝来。鎌倉新仏教(法然・浄土宗、親鸞・浄土真宗、一遍・時宗、栄西・臨済宗、道元・曹洞宗、日蓮・日蓮宗)が庶民に広まった。文学では『平家物語』『方丈記』(鴨長明)『徒然草』(吉田兼好)の三大随筆、勅撰和歌集『新古今和歌集』(1205年・藤原定家ら撰)が成立。
記
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日
日蓮聖人と三宝尊——法華経信仰と日蓮宗の寺院めぐり
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国
「このままでは国が滅ぶ」——日蓮の立正安国論と的中した予言
1260年、日蓮は幕府に「立正安国論」を提出した。「正しい仏法を立てなければ国難が来る」という警告書で、実際にその後に蒙古襲来が起きた。しかし幕府は日蓮を危険人物として迫害し、伊豆・佐渡に流罪とした。「予言的中の僧侶」と「迫害された宗教者」という二つの顔を持つ日蓮の物語を解説する。
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─ 完 ─
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