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JR逗子駅から徒歩20分、京急バス「法性寺」下車徒歩2分
神奈川県逗子市久木9-1-33
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災厄消除・方位除け・疫病退散。不動明王・観音・祇園の神を祀る寺社で特に祈願される。
御祭神「一塔両尊(題目塔・釈迦多宝如来)」のご神徳に由来
元亨元年(1321年)、日蓮の高弟・六老僧の一人である日朗の弟子・朗慶(越中阿闍梨)が開基した日蓮宗の寺院。山号は猿畠山(えんばくさん)。本尊は一塔両尊(題目塔・釈迦多宝如来)。文応元年(1260年)の松葉ヶ谷法難の際、日蓮が浄土教信者に草庵を焼き討ちされた時、白猿が現れて山中の岩窟に日蓮を導き難を逃れたという「白猿伝説」が寺名と山号の由来。白猿は山王権現(日吉大社の神使)の化身とされ、境内西北の山上には今も山王権現祠が祀られている。
境内は山門から本堂・祖師堂へと至り、祖師堂には朗慶作と伝わる日蓮像が安置される。祖師堂の背後の岩壁には日蓮が身を隠した「御避難の法窟」が残り、岩面に首題(南無妙法蓮華経)を刻んだ石碑が立つ。本堂裏の急峻な山道を登ると奥の院に至り、日朗菩薩御廟所が苔むした山中に静かに佇む。日朗は池上本門寺・鎌倉妙本寺の開基でもある日蓮の最も信頼厚い弟子で、72歳で入滅した際…
建長5年(1253年)、日蓮は鎌倉に入り松葉ヶ谷に草庵を結んで布教を開始した。文応元年(1260年)に『立正安国論』を北条時頼に提出すると、浄土教信者の怒りを買い、夜間に草庵を襲撃・焼き討ちされた(松葉ヶ谷法難)。このとき白猿が現れて日蓮を山中の岩窟に導き、難を逃れた。白猿は山王権現(比叡山の守護神・日吉大社の神使)の化身とされ、この地が「猿畠(さるばたけ)」と呼ばれるようになった。白猿が畠から食物を運んで日蓮に供えたとの言い伝えもある。
日蓮の高弟・六老僧の一人である日朗は、松葉ヶ谷時代から日蓮と苦楽を共にした最側近の直弟子である。池上本門寺の開基でもあり鎌倉妙本寺の開基でもある日朗は、元…
文応元年(1260年)の松葉ヶ谷法難の際、日蓮は暴徒に草庵を焼き討ちされたが、山王権現の化身たる白猿の導きでこの地の岩窟に逃れて難を免れた。境内には「御避難の法窟」が今も残る。日蓮の最側近・日朗の墓所でもあり、日蓮教団草創期の法難と信仰の記憶を生々しく伝える聖地。奥の院から名越切通を経て鎌倉の安国論寺・妙法寺へと続く道は、日蓮が法難を逃れて駆け抜けた道筋そのものとされている。
源頼朝が三浦半島方面への軍事行動の際にこの地を通り、紀伊国熊野三山の権現を勧請して社を建てたと伝わる。頼朝は熊野信仰に深く帰依しており、鎌倉周辺の各所に熊野社を勧請した。山の根熊野神社はその一つとして、鎌倉幕府の三浦方面への軍事・交通ルート上に位置する。
関連
安国論寺
日蓮の松葉ヶ谷草庵跡。日朗はここで荼毘に付された
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