薩摩藩士の家に鹿児島で生まれ、下級藩士として苦労しながらも頭角を現した。島津斉彬・久光のもとで薩摩藩の政治中枢に深く関わり、薩長同盟締結と王政復古の大号令実現に尽力した。明治維新後は新政府の実力者として、岩倉使節団(1871〜73年)に参加して欧米の近代化を直接視察し、富国強兵・殖産興業政策を推進した。征韓論をめぐっては西郷隆盛・板垣退助らと対立して「明治六年の政変」を引き起こし、西郷を下野させた。内務卿として強大な権力を握り、地租改正・秩禄処分など近代化政策を矢継ぎ早に断行した。その強権的手法から「専制政治家」とも評されたが、日本の近代化に果たした役割は計り知れない。1877年の西南戦争での西郷の死に深い悲しみを覚えながらも政務に邁進したが、翌1878年5月14日、不平士族の島田一郎らに紀尾井坂で暗殺された。享年48。西郷隆盛・木戸孝允とともに「維新の三傑」と称される。