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大久保利通像
鹿児島県
「明治の三傑」大久保利通の生誕地・甲突川河畔に立つ洋装の銅像と維新ふるさとの道
種別
史跡
アクセス
JR鹿児島中央駅から徒歩5分
鹿児島県鹿児島市西千石町
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基本情報
史跡
概要
鹿児島中央駅近くの甲突川沿いに建つ大久保利通の銅像。近代日本の設計者としての風格ある洋装姿で、右手にステッキを持つ。西郷隆盛像が上野に建つのに対し、大久保像は生誕地に近いこの場所に建つ。維新ふるさと館に隣接し、甲突川沿いの「維新ふるさとの道」には大久保・西郷ら薩摩の偉人たちの生誕地碑が並ぶ。西郷と幼馴染として共に育ち、やがて維新後に敵味方に分かれた二人の運命は、日本近代史の最も劇的な物語として今も多くの人々の心を捉えている。
由緒
大久保利通(1830〜1878年)は鹿児島城下の高麗町(現・鹿児島市加治屋町付近)に生まれ、西郷隆盛と幼馴染として育った。薩摩藩士として藩政改革に携わり、薩長同盟や王政復古を主導して明治維新を成就させた。維新後は初代内務卿として殖産興業・地租改正など近代国家の礎を築き、「明治の三傑」の一人に数えられる。1878(明治11)年、東京・紀尾井坂で暗殺され、48歳で没した。現在の銅像は、生誕地に近い甲突川沿いの西千石町に建立されたもので、洋装にステッキを携えた近代国家指導者としての姿を表現している。建立年代の詳細は確認できないが、隣接する維新ふるさと館(2001年開館)の整備と前後して、「維新ふるさ…
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