嘉永7年(1854)生まれ。太田道灌の後裔・遠江国掛川藩太田家最後の藩主。文久2年(1862)、養父・資功の死去によりわずか8歳で家督継承。慶応4年(1868)の戊辰戦争で駿府城守備を命じられるも撤退し新政府に恭順、同年の徳川家遠州転封に伴い上総国武射郡・山辺郡へ移封。明治2年(1869)、15歳で柴山村観音教寺に仮藩庁を置き柴山藩として藩政開始、八田・大堤・猿尾・蕪木地区一帯に旧領掛川城の別称にちなんだ松尾城の築城を命じた。明治3年(1870)11月藩邸完成、明治4年(1871)正月松尾藩と改称したが城下は工事途上のまま同年7月の廃藩置県で廃止。在任中は藩校「教養館」・病院「好生所」・「物産会所」設置等の善政を敷いたと伝わる。東京移住後は旧藩士を援助し慶応義塾設立にも関与、大正2年(1913)没。