綱敷天神社 御本社
大阪府
弘仁13年(822年)、嵯峨天皇は摂津国菟餓野に行幸され、この地に頓宮(行幸時の仮御所)を設けた。嵯峨天皇の崩御後、皇子の源融が父帝を慕って承和10年(843年)この頓宮跡に「神野太神宮」を創建し嵯峨天皇を祀った。これが綱敷天神社の直接の起源である。嵯峨天皇は平安京遷都後まもなくの治世で文芸を愛し唐風文化を推進した君主で、菅原道真とも縁の深い菅原氏の興隆期を準備した存在。梅田の地にその魂を祀る神社が残ることは、都が京に移ってなお摂津国との紐帯が強かった平安初期の文化圏を物語っている。