近江国滋賀郡(現在の滋賀県大津市)の渡来系氏族の家に生まれた。7歳頃から神童と呼ばれ、12歳で比叡山に登り行賀のもとで修行を始めた。785年に東大寺で具足戒を受けた後、再び比叡山に籠もり独学で天台止観の修行を重ねた。788年、比叡山の山頂付近に一乗止観院(後の根本中堂)を建立し、薬師如来を安置して「魔を払い国を守る」道場とした。804年、31歳のとき空海と同じ遣唐使船で唐に渡り、天台山の道邃・行満から天台教学の奥義を学んで翌年帰国した。延暦寺を根本道場として天台宗を日本に確立し、806年に天台法華宗の独立を朝廷に認められた。「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という言葉を遺し、万人の成仏を説く法華一乗の平等思想を広めた。空海とは密教修法を借り受けるなど当初交流があったが、密教の奥義伝授をめぐる書簡問題で関係が悪化した。比叡山での長年の宿願であった大乗戒壇の設立を、822年の入滅後わずか7日にして朝廷が許可した。享年56歳。