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阪急京都線大宮駅から徒歩約7分、または地下鉄東西線二条城前駅から徒歩約10分
京都府京都市中京区三条大宮町240
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穢れ祓い・心身の浄化・邪気払い。禊(みそぎ)や護摩の伝統に連なる。
御祭神「阿弥陀如来・地蔵菩薩」のご神徳に由来
京都市中京区三条大宮町に位置する浄土宗の古刹。境内は平安時代中期、関白太政大臣・藤原頼忠の邸宅跡に設けられた「四条後院」—上皇の御所—の旧地にあたり、千年余の歴史を刻む由緒ある地に立つ。本尊の石仏阿弥陀如来(高さ約90cm・白川の花崗岩製)は平安後期の造立で、法然上人の浄土の教えに触れた上皇が造立させたと伝わる貴重な遺物である。副本尊の地蔵菩薩は伝教大師最澄が自ら彫った一代の念持仏とされ、近江の坂本から天正15年(1587年)に迎えられた。「泥足地蔵」「汗出し地蔵」「身代り地蔵」の三つの異名を持ち、農夫の田植えを助けた伝説や難産の母子を救った奇跡譚が今も語り継がれている。境内には池坊家元歴代(1658〜1908年)の墓碑が残存し、花道文化とも深い縁を結ぶ祈りの場である。
善想寺が立つ地は、平安時代中期(天元2年・979年頃)に関白太政大臣・藤原頼忠の邸宅跡に設けられた「四条後院」の旧地にあたる。円融天皇は大内裏焼失の際にこの四条後院を仮の皇宮とし、以後複数の上皇の居所として約350年にわたり利用された。境内に安置される石仏阿弥陀如来は平安後期の造立で、法然上人の浄土の教えに感化された上皇が造立させたと伝わり、法然教化の時代を示す貴重な遺物である。寺の開創は天文11年(1542年)、想阿善悦上人によって洛西に創建された。天正10年(1582年)、豊臣秀吉の命を受けた法春上人が現在の中京区三条大宮の地に移転・再建。天正15年(1587年)には近江・坂本から伝教大師…
善想寺の副本尊・地蔵菩薩は、伝教大師最澄が約一二〇〇年前に自ら刻んだ一代の念持仏(生涯手元に置いた守り本尊)と伝えられる。最澄の没後は近江の坂本村に安置されていたが、天正15年(1587年)、善想寺初代住職によってこの地に迎えられた。「泥足地蔵」「汗出し地蔵」「身代り地蔵」の三つの異名を持ち、農夫の田植えを助けたとの伝説や難産の母子を救ったとの奇跡譚が語り継がれてきた。天台宗の開祖が生涯の守り本尊とした地蔵が浄土宗の寺院に収まるという歴史の巡り合わせが、この小さな寺の奥深さを物語っている。
天正10年(1582年)、本能寺の変ののちに洛中の支配権を握った羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、京都の都市整備の一環として諸寺院の移転・再建を命じた。善想寺はこの時、法春上人が秀吉の命を受けて洛西から現在の三条大宮の地へ移転・再建したと伝わる。天文11年(1542年)に洛西に創建された寺が、秀吉による京都再編を機に現在地に定まるという、安土桃山時代の都市変革の一断面を今に伝えている。
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