酒井忠休
酒井忠休
出羽松山藩3代藩主・若年寄
1714-1787 · 享年 73歳
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松山城(出羽国)を訪れると出会えます
ゆかりの地 1か所
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生涯
正徳4年(1714年)生まれ。享保17年(1732年)、養嗣子として家督を継ぎ出羽松山藩3代藩主となる。松山藩は正保4年(1647年)に庄内藩主・酒井忠勝の三男忠恒が2万石を分知されて立藩し、当初は中山村に堀をめぐらせた陣屋を構えるにとどまっていた。宝暦10年(1760年)、忠休は幕府の若年寄に任じられ、庄内藩酒井家として初めて幕閣入りを果たす。安永8年(1779年)、若年寄在任の功により上野国内で5000石を加増され、松山藩は2万石から2万5000石に拡大、これにより城主格を得た。天明元年(1781年)、庄内藩の軍学者・長坂十太夫の設計により陣屋の城郭化に着手し、天明7年(1787年)までに本丸を除く二の丸・三の丸の土塁・堀・塀を完成させ、松山城として整備した。
人物像
若年寄として幕政に参与する一方、藩の城郭整備という悲願を実現に導いた実務家肌の藩主。
歴史的意義
忠休の代に整備が始まった松山城の大手門は寛政2年(1790年)の落雷焼失後、寛政4年(1792年)に再建され、現在は山形県指定有形文化財として県内唯一現存する城郭建築となっている。
─ 完 ─
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